ラブドールと(で)セックスするときにAVを流す。その時に心情的なコツがあった。それは“オカズ”ではなく、“私達(みんな)も一緒に気持ち良くなろう感覚”であった。
オカズと見なしているときは、AVをBGMにしたり性的な雰囲気に自分を高める感覚に使っていた。最初の1年間ぐらいは勃った。しかし、2年目ぐらいから勃たなくなってしまった。さらにセックス中も盛り上がらなくなってしまった。まるで「ゴムの塊に挿れている」といった冷酷非情な感覚に陥る感覚で楽しめなくなってしまった。
そのときの感覚が「自分とラブドールとAV女優の方とAV男優の方」といった「4存在」の感覚があった。その場に4つの存在があって、AV女優たちはセックスしているのに自分だけはゴムの塊に挿れている感覚にさいなまれた。「自分だけがセックスしていない」感覚にさいなまれた。そして、そのときの感覚がラブドール「で」セックス感覚であった。
一方、「“私達も一緒に気持ち良くなろう”感覚」は「自分もラブドールもAV女優もAV男優も一つの塊に丸めて“私達”」になる感覚となる。「1存在」の感覚になる。
結果、それまでラブドール「で」セックスする感覚だったのが、ラブドール「と」セックスする感覚に切り替わった。「愛し合う」といったゾーンに突入できてしまった。セックス前も比較的勃起しやすくなり、そして自分だけがセックスしていない劣等感も消えていった。盛り上がるようになった。
そして、この主観を日常レベルで適用させていくと「カップルに嫉妬しなくなった」のだ。それまで「✿カップルは愛し合う美術でございます。✿」と必死に自己説得していた。まるでバラを胸ポケに挿してさらに脳内をバラで敷き詰めてさらにバラを背負って脳内バラ畑にしていた。しかしちょっとでもイチャイチャされるとすぐにそのバラ園メッキが剥がれて嫉妬感が湧いてきてしまっていた。再び強力な幻想で覆い隠す努力が必要になった。
しかし今回の価値観でガラリと変わった。「カップルも自分も含めて“私達”」といった感覚になり、「カップルがイチャイチャしていて幸せそうで自分も嬉しく感じる」といった感覚になってしまったのだ。
よくドラマやアニメで「今日幸せそうなカップル見てほんわかしてこっちも嬉しかった」といったシーンやセリフがたびたび出て「意味が不明」だった。「必死に崇高な賢者論で自信を人格者として世間に知らしめようと必死に、必死に人道者のベールで覆い隠している」とデビルマンの如く曇り顔で思ってしまっていた。しかしそれは大きな勘違いであった。その意味不明と感じていた難題の全ての答えはこの「私達感覚」であった。
自身にパートナーがいなくとも家計状況が悪くてもそんな事ごとが一切無関係のゾーンに退避させられて、無条件に”カップルを見て自分も嬉しい”感覚になれたのはこの価値観であった。
“私とあなたとカップルの彼と彼女”ではなく、”私達(私とあなたとカップルの彼と彼女)”だったのだ。外出したときに目にする人をすぐさま抱き抱えるように「私たち」といった感覚になっていく。自然になっていく。二次的に人間不信感も急激に減退していった。
そしてまさに!性に悩みの最大のネックである「いくら賢者モードであってもカップル状態の存在を目にしたときに嫉妬してしまう」といった状態をもラブドールがこの価値観を見出させてくれてダイレクトに解決させてくれたのだ!
決してラブドールは「”リアルの彼女彼氏を見つけよう”的なわた橋」などといった存在では無かったのだ!!「別に?欲しいと思った時でいいではないか。」といった“焦燥感に駆られない次元”に至らせてくれた。
この“私達感覚”の価値観は「パートナーの有無に関わらずカップルに嫉妬しない次元」に至らせてくれた。オアシスのような次元に至らせてくれた。オスとメスでギスギスした競争社会や弱肉強食のらせんから脱却させてくれたのがこの価値観だった。結果、パートナーをも得ていないのにも関わらず、嫉妬感情が急激に減退し始め次第に塵のように消えて無くなっていったのだった。
そしてまさにいつそれが起こったかというと「ラブドールとのセックスで流すAVで勃たなくなってしまって、AVとラブドールとの接し方を変えた瞬間」だった。そのときにやっとフルボッキした「AVとラブドールとの接し方」がこの“私達”と見なす価値観だった。
ラブドール「と」のセックス時にAVを流す場合は「私達も気持ち良くなろう」といった価値観にすることで、「ラブドールと愛し合っている感覚」になってさらに気持ち良くなれる。
そして「連鎖的に」肉欲的なセックス欲はもちろん、愛欲的なセックス欲、そして”カップル存在に嫉妬してしまう”性の悩みさえも終了させることができてしまう。ラブドールとAVとのセックスで性の悩みは「私達と見なす価値観」で「急激に」終わり始める。
“私達”は画面という次元さえも超えて共に気持ち良くなれる。
このジョークでアニメな視点こそが、
性の悩みから脱出させてくれる。