入り口に差し掛かった時、誘導されるかのように目が行ってしまった。
オレンジマネキンのおっぱいである。
「おっぱい…イイ大きさ…」
脳内にそう自然に湧いてくる。
すぐさま競歩で近づいた。そして間近で鑑賞した。
「揉みたい…」
「ふんわり柔らかそう…」
「優しく下から寄り添うように揉みたい…」
「下からふんわり、ふんわり、たゆたゆ揉みたい…」
ダメだだめだ。これは真面目なマネキンだ。
秋のニットワンピースにふんわり乗る美巨乳。
『レギンス×ワンピース』という秋のしまむら特集。
しかし、しまむら先生、
マネキンのおっぱいが少し大きいのではないでしょうか?
いや!失礼!
“勘違いされないのはCカップまで”といった時代は終わったのでしょうか…
そうでしょう先生!
「これからは堂々と盛りブラできる、巨乳でも勘違いされずに道を歩ける。その時代になった!」
その証明でしょう!そうでしょう先生!
そうしてすぐさま視点を反転するかのように美術的な視点に切り替えた。
「見えてくる、見えてくる、透けて見えてくる!この美術的な醍醐味が!」
どんどん美術的な美点が湧いてくる。湧いてくる。
なぜしまむらはAカップマネキンではなく挑戦的な美巨乳マネキンを選んだのか、どんどん謎が溶けていく。答えはシンプル、おっぱいはアクセサリーなのだから。
もうおっぱいを隠す時代は終わった。これからは谷間もアクセサリーだ。
「おっぱいはアクセサリーだ!胸は肉のアクセサリーなのだ!」
脳内にそう発狂が走っていく。
大きすぎないおっぱいがニットワンピを美しく立体的にしていく。
美しくシワを形作っていく。
そして服をさらに美しくしていく。
服がその人間を美しくしているだけでは無い。それにお礼するかのように今度はその美しく膨らんだ美巨乳が今度は服をさらに美しくしていく。
服とおっぱいとのメイクラブ、セックス。
ここ、しまむらで今まさに『服とニットワンピースのセックス』が繰り広げられているのだ!
「あぁ…美しい…」
んん!?あっちでもSEXが…
あっちでも服とおっぱいとのセックスが行われている!
美しい…セックスだ。服とおっぱいがセックスしている、メイク・ラブ…これこそが衣類の美術…
わざわざジッパーをグッと下げてまでおっぱいのふくらみを魅せてくるのは「セックスしない?❤︎」という魂胆では無いはず。
「光に照らされて膨らみが強調されるかのように魅せる」なぜそんなことをわざわざするのか。誘惑なのか。少子高齢化に対する水面下作戦なのか。いや、違う。
単に、レディース側にとっておっぱいは単なるアクセサリーなのだ。
「おっぱいがあるのだから活用したらいいではないか。」
そうポジティブな考えが服から飛び交ってくる。
ジッパーから覗くおっぱい、そこからさらにクロスさせていくかのように流れるマフラーからのぞくおっぱい。
アウターとマフラーの連鎖が産み出すおっぱいの美術…。
美しい…。セックスだ。
「あっちでもセックスが!」
乳首が勃っているのではないか?
そう思わせんばかりに突き出たおっぱい。おっぱいはツンッとさせるのも美術。
そしてその意固地になりながらもツンッと勃ったおっぱいに上着の調節ネックがおしとやかに垂れていく。
「私のおっぱい見て!美しいでしょう!」そう言わんばかりに上着を広げる姿。堂々とした姿。挑戦である。
「ザ・秋」と言わんばかりのファッション。服とおっぱいと秋とのセックス、美術だ…。
そうぶつぶつと脳内鑑賞に浸っていると視界に飛び込んできた。
スポーティな色だ。
「スポーティーSEXか!」
すぐさま競歩で近づいた。美しい…
スポーティーだ!スポーティーだ!
どんどん感動が走っていく。
先ほどのまったりした服とは違う。躍動感のある服、まるで服がおっぱいの上にでスポーツしてるみたいだ。
その鮮やかなグリーンが目に飛び込んでくる。
そして子供くさくならないように上品な上着でオトナを演出している。
「いい、この組み合わせ、いい!」
蛍光色のパーカー、その分厚いパーカーを盛り上げていくおっぱい、そしてその躍動的なキッズ感を上品な上着が帳尻を合わせていく…
『秋のオトナのスポーツセックス』
服と秋とおっぱいとの3Pメイクラブ、3Pセックスだ…。
『しまむらセックス』
しまむらが描き出す、服とおっぱいとのセックス。実に美しい。
しまむらに入ったときに性的な視点で勘違いしてしまってももう問題ない。「胸は(肉の)アクセサリーだ」といったファッション的でジョーク的な視点でいつでも美術的に楽しめる。
しまむらはエロじゃない。美術なのだ。服の美術なのだ。
性的な目線で見ても楽しめる。新たに美術的な視点でも楽しめる。
しまむらでエロいマネキンを目にしてももう勘違いしない。
“胸は肉のアクセサリーだ”という視点で。
≫ 胸肉について。