「老後もAVコーナーに性的目的で行くのだろう…」
性の悩みに振り回されていた時期にツタヤなどのビデオ屋行くと必ずと言っていいほどアダルトコーナーに行っていた。
借りなくとも「ここのビデオ屋にはどんなAVがあるのだろうか」といった建前で、本心は露骨に性的な目的で入って行っていくのがお決まり。
そして半勃起しながらパカパカとDVDを手にとっては裏返して、それを繰り返しているうちに気づいたら1時間以上もそこにいる没頭感。
そして眺めてみるとそこにはスーツ姿のサラリーマンの方や温泉帰りと思しき方や大学生の方からとにかく下から上までいつも幅広い年齢層が見受けられる。
「自分は老後もここに行くのだろう。」そう思いながらのれんをくぐって退店していく。それを何度もループするように繰り返していた。
“老後AV”は起こらない
しかし、そのループがピタッと止んだ瞬間がある。なおかつAVコーナーののれんを目の前にしても「性的な目的では」入りたい欲求が湧かなくなってしまった瞬間がある。
それが「オナホールとラブドールのみ」で「セックスに飽きた段階」にまで至った時、そして今度は美術に興味が出てきた時である。その時に再び出向くと以前の性的な感動が起こらなかった。
以前の性的な感情に突き動かされてついついのれんをくぐって入ってしまっていたあの「衝動に駆られる感覚」が湧き起こらないのである。
保健体育の先生は「AVは教材」と言っていた。以前それを聞いたときは「そういう建前でAVを性的な目で見ている」と思っていた。
しかし、それはどうも違った。本当に教材として見ているのだろうと悟った。その保健体育の先生と同じ見解に至ったのである。それが「AVは美術の教材」といった感覚、その感覚であった。
その感覚で新たに入る目的を見つけて入ってしまった。
しかし、入っても勃起しない。以前は棚を眺めているだけで半ボッキして我慢汁が出ていたのに勃起のぼの字も起こらない。
“老後もAVコーナーに性的な目的で入る”というのは起こらないと悟った瞬間であった。
AVは美術の教材として新たに楽しめる
しかし、AVはこの「セックスが面倒」の段階にオナホールとラブドールのみで至るまでに貴重な補助として必要になった存在。
AVを排除するといったことはしたくない。そして新たな迎え入れ方を発見した。それが美術目的である。
性的な目的ではのれんをくぐらなくなる。しかし、美術目的で新たにのれんをくぐることを楽しめる。ただ、以前のような「どうしてものれんをくぐってしまう」というのは起こらなくなる。
しかし「性に振り回されない感覚」で入ることができる。メリットとして「ムラムラしてしまってついつい5本借りてしまう」といった衝動借りも起こらなくなる。
「3本映画を借りてあと2本借りないと逆に割高なので、、しかし観たい映画がない。。ならばAVで2枚補完しよう」といったのも起こらなくなる。
結果的に、AVの衝動借りが無くなり「節約」もできる。オナホールとラブドールで最終的に「エロレベルで」節約できてしまう。
美術目的なので以前の性的目的にあった衝動買いのような感覚が起こらないで節約できる。「節約するためにAVを借りるのをセーブしよう」といった自己説得さえ不要になる。シラフで節約できてしまう。心情的に根幹から節約できてしまう。
「AV…老後も衝動借りしそう…」
といった不安は無用となる!
“美術目的”で衝動借りも終わる!