花瓶など「本格的にインテリアとして飾れる電動オナホール」が、性欲でドロドロした日常から抜け出させてくれた。
「オナホを隠す。」が無くなる
「オナホを隠す」といった感覚が不要になった。「露出して置いていたら気恥ずかしい」といった従来のオナホにあった感覚がなくなった。例としてNLSピストンやA10サイクロンSA +PLUS(プラス)がオナホを隠すという行為が無くなるほどまでインテリアとして飾れてしまった。
勝手に美術的な視点に変わる
オナニーした後の日頃は「花瓶」として目にするため、視界に入るたびに、目にするたびに、美術的な興味を見出させてくれる。美術的な趣向が勝手に育まれていく。意識して美術に興味を持とうといった感覚さえ無い。生理的なレベルで美術的視点を取り入れてくれる。
性欲にさいなまれなくなる
所有して飾っているだけで美術にも興味を見出させてくれる。「飾っているとエロすぎて余計にムラムラが収まらない。隠したい。」といったラブドールのあの現象が起きない。インテリアとして飾れる電動オナホは「性欲でドロドロしたゾーンに滞留させられ続けるオナホール」ではない。
エロい物がエロく見えなくなる
「花瓶としてオナホを飾っていると、隣に飾っているラブドールにもムラムラしなくなる」といったことが同時に起こって驚いた。裸体の性的丸出しのラブドールにさえも美術的な視点になってしまう。そして美術館や公道に設置されているおっぱい乳首丸出しの石像にも性的な目で見てしまっても美術的な視点でも見れてしまう。
退屈な美術館さえも楽しく変わる
「ただの油絵」が価値あるものに見えてくる日常が勝手に訪れる。「絵画展覧会に行ってみたらただ水彩絵の具でペッペッと描いただけの絵だった」というのが「なるほどこの絵はこういったことを表現しようと、、だから…」と楽しめてしまう。
最近、落札された瞬間にシュレッダーのあの話題の絵が「100均で売られている絵にしか見えない。画家でも何でも無い人が有名人だということで描いた絵にすぎないのだろう」状態からも脱出できる。
実は「花瓶機能有り」のオナホ
もはや「花瓶として飾れる」といった意味合いではなくなった。「花瓶機能もあるオナホ」の時代となった。
これまで困難だった「エロから美術へのわた橋」。エロから美術へわた橋してくれる存在があまりなかった。「エロを味わいながら美術に導いてくれる存在」がとにかく無かった。
しかし、この花瓶機能ありのオナホによってその役割が担われた。
エロ目から美術目に変えてくれる
美術に興味を遷移させてくれる存在は「性の悩み依存から脱出させてくれた貴重な要素」だった。
例えば、『”無修正なのにエロくない”PLAYBOY雑誌』だったり、『“セックスが最悪だけど眺めているだけで癒やされる”オリエントドール』だったり、それらはエロから美術へ視点をうまい具合に切り替えてくれた。
そして『“花瓶として割と堂々と飾れる”A10サイクロンSA』だった。さらに最近発売された『NLSピストン』もそうだった。
これらはエロに始まってエロで終わって使い捨てられる存在ではなかった。エロ的な趣味から美術的な趣味へとわた橋してくれる存在にもなってくれた。オナニーを楽しんでいたのに勝手にエロ目から美術目に変わっていく。
性欲ドロドロから抜け出させてくれた存在は「美術」だった
禁欲すると延々と性欲が終わらなかった。しかし、エロを楽しみ没頭すると終わった。そしてエロい物を美術的に観るといったジョークな視点が性欲でドロドロした日常が終わり出した重要な契機となった。
「禁欲」すると性の悩みが終わらない
性欲でドロドロした日常は“拒絶”しても抜け出せなかった。「禁欲!オナ禁!性欲は邪心!」と言わんばかりの拒絶は常に意識し続けないと無理だった。ふと気が緩んだ時にはそれまでずっと幻想で覆い隠していたメッキがみるみるうちに剥がれていく。そして剥がれたメッキを必死に再び「禁欲禁欲禁欲禁欲!」などと自己説得を続ける必要があった。しかし…
「エロを楽しむ」と性の悩みが終わる
エロを許容するように存分にエロを楽しみながら同時に美術を楽しむことで、綺麗に滑らかに美術に興味を遷移させられていった。シラフでそのゾーンに至った。
オナホを賢者タイム後も使えないかと試行錯誤しているうちに勝手に花瓶として飾っている自身がいて、A10サイクロンSAは単なるジョークグッズではなく「美術」でもあったことにも気付かされた。
オナホとしてのみ使うことを普通は考えさせてくるのに、その美術的なオナホールは美術的にも楽しむことを存在レベルで促してくれた。その魅力に没頭していってしまった。エロを楽しむことっで性欲が大幅に満たされていく。
エロを美術的に観るなんてジョーク。そのジョークが性の悩みを終わらせてくれる
ジョークグッズいわゆるアダルトグッズが美術に見えるなんて「ジョークな視点」である。
しかし、ジョークグッズがそのジョークな視点を教えてくれた。そしてその美術的な視点ををジョーク感覚で楽しんだ結果、なんと気づいたら性欲にまみれたドロドロした日常ではなくなっていたのだ。
外出すれば勝手に美術的な視点でも楽しめるようになった。カップルにも美術的だと思えて嫉妬もしなくなった。
美術的なオナホール、そして妄想では無く実質的にインテリアとして飾れるオナホール、その『美術オナホ』こそが性的にドロドロした日常から脱出させてくれた一存となった。「性の悩みが終わるオナホール」とはいささか、ジョークではなかった。
性の悩みは”花瓶”で終わる。
“花瓶”で新たなトビラを開こう。