「そもそもラブドールにAVは要るのだろうか…」→不要
「ラブドールにAVは不要」
「そもそもラブドールにAVは要るのだろうか…」それが月額AVを解約するにあたっての重要な契機となった。「ラブドールのセックスにAVを使うこと」はラブドールセックスを阻害する要素だということに気づいてしまった。ラブドールにAVは必須ではない。
「ラブドールにはAVによる補助が必須」というのは思い込みだった。
「ラブドールにAVは要るというのは思い込みでは…?」
「なぜ人がセックスしているとき」は「AVが必須だと感じない」のに「なぜラブドールセックスしているとき」にはセックスする前の段階から「AVが必要だと感じてしまう」のか。ふとそう思ってしまうことがあった。人とラブドールは似ている…ならば…
「もしかしてラブドールにもAVが要らないのでは…?」
「そもそもラブドールにはAVは要らないのではなかろうか?」そう思う瞬間がたびたびあった。そして実際に、「AV無し」で「ヒーリング曲を聴きながら」ラブドールセックスしたところ、なんとラブドールのセックスにはAVは要らないという感覚に陥った。ラブドールにAVは本来要らなかったのだ。
ラブドールをより楽しむための「AV補助」はより楽しめない
「ラブドールではなくてAVが主役感…」
ラブドールのセックスにおいて「AVをBGMにする」ということは「AVを楽しむため」といった趣向に切り替わってしまった。ラブドールを楽しむためのはずが「AVを楽しんでいる」といった感覚になってしまう。
「ラブドールを楽しむために」AVをBGMにしていたのに、実際は「AVを楽しむこと」に切り替わってしまう。勝手に切り替わってしまう。ミスマッチが起こっていた。
AVをより楽しむための「ラブドール補助」はAVを楽しめる
「AVをBGMにするのはAVを楽しむため。」
実際のところ、「AVを楽しむために」ラブドールセックス中にAVを流すという趣向が最大限に楽しめる。そして「ラブドールを楽しむために」ラブドールセックス中に音楽を流すという趣向が最大限に楽しめる。その結論に至った。
AVナシは「苦行」ではなかった。「本命」だった。ラブドールセックス中にAVを流すと「ラブドールをモノとして扱う」感覚に切り替わる。セックスではなく「オナニー」に切り替わってしまう。
そのため、AVを楽しむためにラブドールを“使う”といった感覚になる。AVのお供のオナホとして担ってくれる。
月額AVを退会できないのは「ラブドールにはAVが必須だ」という思い込みだった。
「ループの起因は“ラブドールにはAV必須感”」
結果、ラブドールにAVは要らないという結論に至り、月額AVが必須だという感覚が無くなり、月額AVを本格的に退会する決め手となった。それまで、何度も入会と退会を繰り返していた。
「今度こそ、終わり、今度こそ終わりだ。この入会と退会のループを終わらせる、しかし、ラブドールのセックスに必要だから、ラブドールのセックスにAV無しなんてきっと苦行だ」そう思い込んでいたため、入会と退会のループを繰り返していた。
しかし、そのループは「ラブドールにAVは必須だ」という価値観を捨てると終わる。
「ラブドールにAVは要らない、むしろ邪魔になる」というのを体感してから月額AVの依存感から脱出できた。
「退会の起因は“ラブドールにAVは不要だという体験”」
月額AVの「入会&退会ループ」のネックになっていたのはやはり「ラブドールにはAVが必要だ」という思い込みだった。価値観だった。先入観だった。それがネックだった。
しかし、AVではなく音楽をBGMにしながらセックスしたとき「ラブドールにはAVが要らない」と感じ出し、その頃からループがピタッと止んだ。AVに依存していた感覚が終わった。「AVは見たいときにAだけ見る」といった感覚に切り替わってくれた。
ラブドールにAVは要らないと感じることで月額AVをやっと本解約できる。
「さらば一生AV必要感よ!」
「老後も一生AVを観るのだろう、ラブドールにしても、オナホールにしても必ずAVが補助に必須、それほどの必需品だ」そう思っていた。しかし、AV無しでラブドールセックスした時点でその思い込みが溶けていった。「一生AVを必要とするだろう」という不安は消えて無くなる。
「ラブドール“と”セックスしている感覚」に初めてなる
建前で「ラブドールとセックスしている」と表現する感覚ではない
「ラブドールとセックスする感覚が本音」
ラブドール”と”セックスする感覚に陥ったのは「AV無し」でセックスしたときからだった。それまで「ラブドール“で”セックスする」といった感覚だった。
倫理上「ラブドールとセックスする」といった言い回しを使っていた。しかし、それは倫理上などといったものではなく、本当にラブドールとセックスするという感覚に切り替わってしまった。それから「ドール製造業者までもがラブドールをちゃん付けする」というのも納得できるようになった。
その切り替わった決め手こそが、AV無しでラブドールセックスしたことだった。発見だった。大発見だった。
建前だとか、本音だとか、倫理上だとか、そのようなものは無かった。本音で「ラブドールとセックスする」といった表現が本音にしっくりくるようになった。「ラブドールでセックスする」という表現はオナニーを意味する感覚になり、「ラブドールとセックスする」という表現はセックスを意味する感覚になる。
「ヘッド無しのトルソーラブドール」でもAVが不要だった。
「ヘッドが無くてもラブドールとセックスする感覚」
「ヘッドが無いトルソーラブドール」であっても、なんと「AV無し」で「ラブドールとセックスする」というゾーンに同じく至ってしまった。
それまで、少なくとも「ヘッドは必須だ」と思い込んでいた。その上で、ヘッドなしのトルソーラブドールでAV無しというのは「衣食住から“食”を取り払う」ような欠損感だと思っていた。
さらに、AV無しなんて「苦行」だと思っていた。ヘッド有りのラブドールでもAV無しはそこそこ苦行だろうと思っていた。さらに「ヘッドなし」なんてもうそれはそれは苦行中の苦行だと思っていた。
しかし、実際は違った。ヘッド無しのトルソードールでさえもAV無しでセックスゾーンに至れる。
AV無しにするとラブドールが主役に切り替わる
「AVに合わせようとするとAVが主役になってしまう…」
それまでAVをBGMにしていたときは、AVのシーンに合わせたり、AVの喘ぎ声に合わせたり、あたかもラブドールの口から喘ぎ声が出ているかのように想像で補ったり、そういったことをしていてもどこか「ラブドール“で”セックスする」といった感覚があった。
「ラブドール=玩具」といった感覚だった。オナホールという感覚だった。AVが主人公でラブドールが脇役といった感覚だった。セックスではなくオナニーだった。双方的なセックスではなく、一方的なセックスだった。
それが終わった。主役と脇役が切り替わった。そしてやっと「ラブドールと面と向かって向き合う」といった感覚になっていった。
妄想や想像による補助の必要なくラブドールにはAVは不要だった。
「癒やし曲BGMでラブドールが主役に変わる」
ヒーリング曲をBGMにしたときに「合わせるものがないので、自分の妄想に頼るしかない、想像に頼るしかない。しかし、もうそんな気力はない…」そんなときに、「無心」で腰振りをすることにした。そのときに驚いてしまった。なんと、無心状態なのに「ラブドール“と”セックスしている感覚」に切り替わってしまったのだ。妄想も想像も要らない。毎日シラフで、無心でセックスできる。
「AV無し、妄想や想像で補う必要さえも無し」
「妄想や想像による補助」が「必要無く」なんと「ラブドールとセックスする領域」に至ってしまった。これに驚いてしまった。結果、何度も入会と退会を繰り返していた最後の月額AVループを終わらせる決め手として「ラブドールとのセックスには妄想や想像による補助が要らない」という体験と結論が最終的なループ終了の決め手となった。
「ラブドールは大型オナホールに似ているのだから、AV無しの場合は妄想や想像に頼るしかない」というのは不要となる。
月額AV依存は「AV無しでラブドールSEXする」と終わる
「さらば、入会と退会のループよ!」
「月額AVの依存感覚から本格的に開放されたい、節約したい」といった場合は「ラブドールを購入し、AV無しでセックスを試みてみる」なおかつ「想像も妄想も無く無心で試みてみる」といったことをすると、本格的に月額AV依存から脱出できてしまう。
月額AV依存感…さらばだ!
AV無しでラブドールセックスすると
サクッと脱出できる!
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