いつものように音楽をランダムで再生していた。そのとき事態が起きた。曲が切り替わったその瞬間、画面に女体が表示されたのだ。外国歌手『セレーナ・ゴメス』の曲である。
全身ヌード。
見えそうで見ない股間。
しかし、今回。エロいと感じなくなってしまった。
昔はこのジャケットを見て勃起していたし、ムラムラしていた。しかし、今回はそれがなかった。単純に見飽きたといった感覚ではない。
「美術的だ…」そう思ってしまったのだ。新しい感覚だった。「性的で飽きてなんとも思わなくなった」といった感覚ではなかった。美術的な視点に切り替わってしまっていた。
かつては裸の写真をジャケットにすることで「まさか勘違いしてエッチな目で見てないでしょうね?」という小悪魔的なものを感じていた。
「試されている」そう感じてしまっていた。
そして「べ、べつにエロい目なんかで見てない!(エロい…)」といった感覚だった。
「勘違いだった…」
勘違いだった。エロだとみなすのが勘違いだった。
勘違いだと気づいたのは「おっぱいはアクセサリーだ!」などとジョークな視点で楽しみだしてからだった。
それからこういった性的なジャケットを目にしても性的なジャケットになっていても堂々と手に取って見れるようになった。
そして制作側の意向通りになることができた。性的なジャケットとしてではなく、アートなジャケットとしてその意向通りに受け止めることができるようになった。
ちなみに、女体を白黒にするのは制作者側が「アートとして見て欲しい」という意思表示の1つでもある。そのため、このジャケットは性的ではなく美術的に見て欲しいという意向となる。
“胸=肉”で裸のジャケットも美術的に見れる
相変わらず谷間を強調したり、全身ヌードだったりする音楽ジャケットが多い。しかし!もう翻弄されない。
美術として見なせる。勃起しない。我慢汁が出ない。パンツを汚さない。美術として、アートとして純粋に見なせる。
エロから美術へ。そのすべてはおっぱいをアクセサリーとみなすことから始まった。胸は肉のアクセサリー、脂肪でできたアクセサリーなどとジョーク感覚でみなすと始まる。
「レディースはおっぱいをアクセサリー感覚で盛りブラに精を出している。誘惑させるためではない、ファッションなのだ!」
その感覚を楽しんでいると数年後から徐々に変わり出す。かつての自分はエロいと思っているであろう性的な音楽であっても美術的に鑑賞できるようになってしまう。
そしてもちろん、性的な目でも楽しめてしまう。「エロ禁止!」などといった排他的なのは楽しめなかった。エロも楽しめる。そして美術としても楽しめる、“胸肉”で。
※エロいジャケットのおっぱいや谷間は誘惑ではなくアクセサリー:胸肉について