「おっぱいをわしづかみしながらセックスしたい…」と思った時にその欲求をダイレクトかつフルに満たせるラブドールになかなか出会えなかった。
揉んでも硬かったり、ゲル注入型おっぱいで二の腕に近い柔らかさであっても単調だったり、どこか「オマケ」といった感覚だった。
しかし、やっとガッツリと満たせる組み合わせに遭遇した。それが「ゲル注入型かつ揉み味わいのあるおっぱい」型のラブドールだった。
おっぱいわしづかみセックスには「柔らかいこと」が前提として必須だった。その柔らかさは「二の腕を揉んでいる柔らかさに近い」ことが必要があった。
おっぱいは二の腕の柔らかさとまったく同じだったので二の腕の柔らかさである必要がある。もしくはそれに近い必要がある。
初めて風俗で熟れに熟れた熟女風俗嬢の方のおっぱいを揉んだとき、自身の二の腕を揉んでいるときとまったく同じで驚愕してしまった。
特別な感情を抱けなかった。「無」である。「これなら自宅で二の腕揉めば節約に…」とさえ感じてしまったほど酷似していた。
そして、ラブドール業界内において二の腕に「近い」柔らかさのおっぱいが登場してくれた。ゲル注入型のおっぱいである。理想は二の腕ではあるものの「脱力した力こぶを揉んでいるときの柔らかさ」までを「やっと」体験できるようになった。
おっぱいオナホールはさらに柔らかいのが存在する。しかし、技術的にまたは耐久性的な問題でそれがラブドールには搭載できないよう。ラブドールにはゲル乳の力こぶ感が限界だった。
しかし、ただ柔らかいだけではまだオマケ感覚だった。それはゲル乳の『ぷにあなミラクルDX』で起こった。
おっぱいは確かに柔らかい。しかし、揉んでいても何も感じなくなる。無である。揉んでいても味わいがない。単調である。
人間に近づけると気持ち良くなると分かっていても、そこを近づけると逆に気持ち良さが欠落してしまう箇所も、ぷにあなミラクルDXは似せてしまっていた。
そしてそこに欠落していたのは「味わい」だった。
ラブドールにおいて「おっぱいをわしづかみしながらセックスしたい」を満たすにはおっぱいの柔らかさだけでなく「揉んでいるときの味わい」が必須だった。
揉んでいる時にところどころ柔らかさが違ったり、揉み方によって感触が違ったり、人間にあるべきではない要素が必要になった。細工が必要になった。
人間はコミュニケーションを通じてこの「揉み味わい」を脳内で「心情的に」作り出す。
しかし、ラブドールはコミュニケーションができない。そのため、「物理的に」揉み味わいを感じる必要があった。
そんな矢先にゲル乳である。ゲル(ジェル)が注入されたラブドールである。
ゲル注入型のラブドール“ぷにあなミラクルDX”が登場したときに衝撃が走った。ついにやってくれたと。
しかし、そのぷにあなミラクルDXは人間に忠実すぎていた。「揉んでも何も感じない」というところまで再現してしまっていたのである。
これは都合が悪かった。
そこで『ガールフレンド第3章』の登場である。
ガールフレンド第3章はぷにあなミラクルDXで不満だった箇所が色々と改良されたバージョンと言っても過言ではなかった。
もはやそれは別の商品名を付けるとしたら“ぷにあなミラクルDX改”である。
そしてそのまさにガールフレンド第3章がその繊細な箇所を改善してくれていた。
なんとぷにあなミラクルDXにあった問題点「揉んだ時にどこから揉んでもどう揉んでも同じ感触で同じ柔らかさで単調」という問題点を改善してくれていたのだ!
「揉んだ時に揉んだ角度によって感触が違ったり、揉み方によって感触が違ったり、とにかく複層的な、複雑なおっぱい」になっていたのだ!
そのとき風俗の経験がフラッシュバックした。「すごい!柔らかい!」と最初は感動が口走ったものの数分後から感想が出てこなかった経験。
ただただ、脂肪を触っている感触。単調で何も味わいがない。そして結果「すごい、やっぱり柔らかい」を一定間隔で言い続けたようなカタチになってしまった経験。
「無」であった。「ただの脂肪」であった。「ただの二の腕」だった。「胸板に二の腕のタプタプがぶら下がっているだけ」そう激萎えしてしまった経験。
ぷにあなミラクルDXはそこまで再現してしまっていた。その欠点を再現してしまっていた。
その問題をガールフレンド第3章が見事に串刺しするかのように「逃さないぞ!」と言わんばかりにそのスゥッと消えいるようなその悩みを見事に改善してくれていた。
「ラブドールだからこそできること」をもたらしてくれていた。それが「揉み味わい」だった。
人間のおっぱいは揉み味わいがない。どこからどう揉んでも同じ柔らかさになっている。物理的に揉み味わいがない。
ぷにあなミラクルDXも物理的に揉み味わいがない。どこからどう揉んでも同じ柔らかさで単調になっている。同じく物理的に揉み味わいがない。
しかし、人間はコミュニケーションを通して「心情的に」揉み味わいを作り出せる。しかし、それもオマケのようにすぐさま感動が消えていく。風俗でおっぱいを揉んでいて気持ち良いと感じたのは最初の数分間だけだった。
ラブドールにはコミュニケーションができないので心情的に揉み味わいを作り出せない。だからこそ「物理的に」揉み味わいがあることが必要だった。そして物理的であれば数分間以上も味わいを感じ続けられる。
ぷにあなミラクルDXにはそれが無かった。物理的な揉み味わいというのが存在しなかった。ラブドールだからこそ必須である要素が欠落していた。
そして実際に、物理的に揉み味わいをもたらしてくれたのがガールフレンド第3章である。
揉む角度によって感触が違う。揉み方によって感触が違う。驚きである。まさに「ラブドールにしかできないこと」である。
ぷにあなミラクルDXで欠落していた箇所が見事に充足されていた。そして機能的なレベルにまでもなっていた。
おっぱいを軽く揉んだら単調なものの、おっぱいをわしづかみした途端にいきなりタプタプ感が出てきて、もうそれはクリームが指と指の間から溢れてくるような感触がある。
横方向からおっぱい全体を揉むと手のひらで感じる感触は単調なのに、その流れで乳房に親指を食い込ませると妙にタプタプしていたりする。
ならばおっぱいの中間だけを横から揉むようにするとそれはそれはもう妙にタプタプしていて驚く。
おっぱいはおっぱいでもおっぱいの中間辺りを揉むのが穴場スポットと言わんばかりのスポット感がある。タプタプスポット感になっている。
そして本題の「わしづかみ状態」である。これがまたいっっっっちばん気持ち良い。
圧縮するように軽くわしづかみしたときに中にミルク水が入っているような感覚になるタプタプ感が訪れる。
そしてそのまま「ワシッッッ」と言わんばかりにガッツリ掴むと今度は指と指の間からおっぱい袋が溢れてくる。
そしてそのまま上から引きずり下ろすように揉んだり、回転しながら揉んだり、手の甲でパン生地をこねるように揉んだり、そのたびにまた違った柔らかさが訪れる。
物理的に感触が千差万別になっている。心情的な領域で感触が変わるのではなく、物理的に感触が異なっている。それに驚く。揉むたびに驚きが走る。
角度を10°変えるごとに感触が違ってくる。千差万別な柔らかさがある。ずっと揉んでいたくなる。
「ガールフレンド第3章のおっぱいは?」と聞かれたら一言でいうと「ずっと揉んでいたくなるおっぱい」である。時間を忘れるおっぱいである。
「揉む角度や揉み方によって物理的に感触が違ってくる揉み味わいのあるおっぱい」である。
「寝る前に目をつむって揉んでいるだけで癒やされて寝落ちしてしてしまうおっぱい」である。
「単調ではなく複雑な揉み感の痴女的なおっぱいに癒やされて寝落ちしてしまうおっぱい」である。
そしてまさに「やけに“わしづかみしながらのセックス”が気持ち良いおっぱい」である。
物理的に揉み味わいがあり、さらにセックスという行為が混ざることで、この上ない癒やしに浸れる。
手とおっぱいが食べ合うかのように「手とおっぱいがセックスしている!」などといった妄想もわしづかみセックス中に勝手に走っていく。ペニスも挿れていてラブドールとセックス、そして手とおっぱいがセックス、ダブルセックス状態である。
そしてあっという間に射精に導かれていく。
購入当初、ガールフレンド第3章はまるで「リアルドールへのつなぎ」のように見えてしまっていた。しかし、実はそんなことはなかった。
リアルドールも含めた他のラブドールにはなかなか満たせない箇所を、ここぞと言わんばかりに食い入るようにガールフレンド第3章が活躍してくれていた。
それが「おっぱいをわしづかみしながらのセックス」である。
「おっぱいをわしづかみしながらセックスしたい」といった時は“揉み味わいのあるゲル乳”が必要だった。そしてその結論をもたらしてくれた先生こそがガールフレンド第3章である。おっぱい鷲づかみセックスしたい!といったときはその先生が最初の王道となる。
「おっぱいわしづかみしながらセックスしたい!」
といった時は
“部分的に柔らかさが違うゲル乳”である!
ラブドール撮影の背景用に長板を…