「テンガは飾れる」それは一時的であった。やはり「外見に性的な要素がある」のでだんだんと飾りにくくなっていった。
しかし、外見にオナホ感がない「性家電」はその流れにならなかった。花をさして「花瓶」にするとずっと飾れてしまう。
それは性家電だと知っていても花瓶として飾っていると「もうオナホとして使っていない感」がある。そうしてやっとずっと飾れる感覚になっていった。
最初は飾れる
テンガは高い。使い捨てではなく何度も使えるほうのテンガがやけに高い。使い捨てのほうも標準的なハンドオナホールに比べてやはり高い。
そしてその「高いテンガ」を買った時にやはり感動がある。ずっと持っていたい。ずっと飾っていたい。その感動に数日感は浸れる。
しかし、そのマジックは数年後にカッチリと消えていった。押し入れ行きである。
「ゴム箇所が黄ばんでいった」「挿れた痕跡のような経年劣化が出てきはじめた」「外見に性的な印象がやはりあって飾れない感覚になっていった」その感覚で押し入れ行きになっていった。
性的な感じがあってだんだん飾れない
最初は「これは新しい時代のファッションなのです」そんな気分で堂々と飾れていた。
しかし、だんだんとそのメッキは剥がれていった。やはり、外見からゴムが見えるとどうしても性具に見える。
そして穴があればもう確実にそれは”ペニスを挿れるもの”といった感じになってしまう。
おしゃれである。外見がとてもおしゃれである。人気である。人気なので一層おしゃれに見えたりもする。堂々と飾れる感がある。
しかし、テンガには難点があった。飾る目的において、純粋に飾る目的において難点があった。
それが「性的な印象を何となく感じる」である。
花を差して「これリサイクルショップで買った花瓶なんです」と言える感覚で飾れる
「外見から性的な印象を無くす」これが飾る目的において究極である。しかし、メーカーはそれをしたがらない。
それをすると「外見から無機物感を感じてなんとなく気持ち良くなさそうに見える」ためである。
せっかく借金をして作ったオナホール、いくら「飾れるから!飾れるから!そしてもちろん中も気持ちいいよ!」と叫んでも誰も手に持たない。
「外見から気持ち良さそうに見えないから」これである。しかし「外見に性的な要素を取り入れて気持ち良さそうな外見にする」と今度は飾りにくくなる。ジレンマである。その両方取りをギリギリでやっているのがテンガだった。
しかし、その時代は性家電で終わった。
もう外見にエロの要素は要らない。ペニスを挿れてその性的のせの字もない筐体を目の前にしながらでさえも「人に舐めてもらっている」その体験なのである、性家電は。
そして誘導されるかのように「目をつむる」とそのヒトにしてもらっている体験が一層リアルに具現化されていく。目の奥のほうに刻まれるように具現化されていく。
外見からエロ要素がないのに、挿れると破壊的に気持ちいい。なのに飾れてしまう。
「これは実はすごく気持ちいい」といった内に秘める魅力を黙認しながらも、純粋に飾れる。
「外見にエロ要素がないから飾れる」この結論に何度も至る。
老後も飾れる
花瓶として飾れる。花を挿したら花瓶に見える。
「これは近所のリサイクルショップで買ってきた花瓶なんじゃ」と。
「近未来的でゾクゾクするじゃろう?」と。
もはや花瓶としか思えない。そしてその段階となると本当にもう花瓶としか使えない。
性欲が激減して使わなくなる。しかし、処分しなくて良くなる。「最終的に処分しないと…」といった不安が最初から湧かない。
使わなくなるのは寂しいものの、しかし、新たに花瓶として使えてしまう。
そしてこれこそが「飾れるオナホール」いや「かつて旧石器時代にオナホールとして扱われることもあった伝説の花瓶」である。
テンガは飾れなくなる。しかし、伝説の花瓶は飾れてしまう。
「テンガはずっと飾れる?」
飾れない!性家電が必要!
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