ゲオに出向いた時に、思わず足が止まってしまった。なんとPS4の『ストリートファイターV』のパッケージの別バージョンらしきもの、そしてそれがイカついパッケージではなく「巨乳のお姉さん」になっていたのだ!
以前はこういった巨乳が描かれていると「興味ないです」といった表情をしながら「再びその棚に戻ってこっそり手に取って裏面を見たり」していた。
今回、それがなくなった。性的な感情ではなく、「ん!?ストリートファイターの新作!?」といった純粋な驚きで手に取ってしまった。
※『ストリートファイターV HOT!パッケージ』
“エロパケゲー”を手に取らなくなれる
「性の悩みに振り回される日常」が終わることによって、“エロパケゲー”を手に取らなくなる。
人がいないことを確認して手に取る行為が無くなった。そのソフトが見たいのに真正面ではなく少し横の辺りに立って手を伸ばしてそのソフトを手にとったりする器用なことも無くなった。
そして「店頭で買うのは恥ずかしいのでアマゾンで買う」といった「その店舗で買うのが筋ではなかろうか!」といった何とも言えない人情的な違和感に苛まれる感覚が発生する機会自体も無くなった。
退店する時に「せっかくなら裏面を見て見ておけばよかったなぁ」といった未練感も無くなった。純粋に「動物的なエロの視点」での興味がなくなってしまった。
節約できる
そのエロいパッケージのゲームが面白いかどうかに関係なく「ただエロいから欲しい」といった衝動に駆られることがなくなった。結果、節約できる感覚に切り替わった。エロゲーの代名詞である『デッド・オア・アライブ』であっても「エロいから欲しい」「目の保養に欲しい」といった感覚があった。しかし、それが無くなった。
今度は「かすみをプロみたいに動かしたい」といった感覚でやっと欲しいと感じるようになった。以前は動物的なエロの視点でただエロいから欲しいといった感覚だったのに、動物的な視点では買いたい感情が起きなかった。
日常から「動物的なエロでは興味を見い出さなくなる」ことで、大幅に物欲というものが失せてしまった。結果的に、何の自己説得も無く節約したい感覚にさせられる。
シラフで節約している感覚であった。以前は強烈な自己説得でそれら「エロい棚」を通り過ぎていた。「節約!節約!」と脳内で語りかけながらそういったエロい棚を通り過ぎていた。しかし、それが無くなった。
性の悩みは「胸は脂肪という肉のアクセサリー」という視点から終わり始める
「おっぱいを性的な目でしか見れなかった日常」が終わった。
特に「わざわざ巨乳設定にする理由はこのキャラクターにS気質のキャラ設定を絵で表現するためだ。」といった感覚で見てしまう。
「おっぱいを巨乳にすることで、信頼してくれるのを待つのではなく自分から先に信頼して来てくれるキャラ設定、”存在が癒し!”なキャラ設定を表現している。」といった美術的で、絵画的で、まさに絵画やイラストを描画する視点で見てしまう。
巨乳を描くに当たって「胸は単なるアクセサリーだ」という視点が欠かせなかった。女体を描くときもおっぱいは単なるアクセサリーでしかない感覚になって「このキャラクターはおっぱいをどれくらいの大きさで描くべきか」といった設定にまでこだわれるようになった。
結果、日常的な効果として、今回のようにゲオに並ぶエロいパッケージのゲームにも「エロいから無性に欲しくなる」といった感覚が無くなった。以前のように「エロに振り回されている」といった感覚が無かったことを改めて痛感した。
やはり「エロにさいなまれる」といった感覚が日常からことごとく消えていく、“胸=肉”によって消えていく。
そして何よりも「パッケージの春麗をエロい感情で操作する」感覚が終わり、「純粋に春麗をマスターしたい」といった感覚に切り替わる。ストリートファイターの女キャラさえも「より純粋な感覚で」楽しめるようになる。