絵画で「おっぱいを大きく描く」ことで誘惑ではなく「自ら愛しに行く」という踏み込みを表現できる

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著:“おっぱいの美術専門家”胸肉

「セックスがゴール!動物的なエロに反応して誘惑してセックスにめがけて一直線!」といった目的がAVやドラマやアニメでよく描かれる。そして、人間的な交流に重きを置いたアニメではおっぱいを少し大きく描かれる。

理由は「セックスに持ち込むぞ!」でもなく「男子を狩りに行くぞ!」でもなく「谷間を見せればこっちのもんよ!」でもなかった。「こちらから無条件に一方的に信頼する」という「交流を自らはじめる精神モード」を意味していた。

「相手に愛してもらうのを待つ受け身キャラ」ではなく「自ら愛しに行く能動キャラ」を表現するためであった。

セックスに持ち込むことが目的ではなく「私の日常生活で、人との交流を盛んにしようとする心情」が「おっぱいを大きくしよう」という行動に踏み込ませていく。その“肉食性”がアニメでも描かれていた。

このとき「結局、女性は告白するのを待っている受け身体質」といった差別的なことは無く、アクセサリーを身にまとったりおっぱいをアクセサリーとして強調するなどそれらによってすでに能動的な体質になっている。

ドラゴンボール超で「ブルマが途中からやたらガッツリと谷間を魅せて描かれる」のは少子化対策ではなく「ブルマが自ら交流を始める体質・愛されるのを待つのではなく自ら愛しに行く体質・積極的な体質・気の強いキャラ」を表現するためとなる。まさにそれらの要素でブルマの「肉食系キャラ」が鮮明に描かれていた。

おっぱいは癒やし、存在レベルで、単体レベルで、独立して存在もできるほどの癒しの塊。脂肪なだけなのにおっぱいを目にすると条件反射的に癒される。性別問わず人を癒す。人を無条件に癒やす。おっぱい自ら愛してくる。

おっぱいが視界に入るだけで「癒やされている」「向こうから愛してきてくれている」と感じてしまう。「おっぱいには愛が詰まっている」という名言には実は続きがある。「おっぱいには愛が詰まっている。…溢れんばかりに、いやもはや溢れている!」と。

なぜ受付嬢の方が胸元を大きくあけたり豊胸ブラを付けるなどして大きく魅せているのか、それは誘惑ではなく、女性にある脂肪の部位をアクセサリー感覚で「自身のテンションを高めてくれる」という目的のためとなる。そして、二次的に、おっぱいはアクセサリーとして「人と人とのつながりさらに円滑にしてくれる役目」としても役立ってくれる。「なぜか話しかけやすい」と生理的に感じてしまうのはおっぱいが大きいからだ。

「おっぱいを大きくしたい」という願望はすなわち「男の方とセックスでおっぱいを振り乱したい、揉まれまくりたい」ではなく、主に「”存在が一方的に愛してくる存在である”おっぱいの助けを借りて、もっとスムーズに気楽になめらかに生理的に人と人との交流を流されるよう開始したい」といった願望となる。そしておっぱいはその願望を叶える一助になってくれる。

「おっぱいを大きくしたい」といった発言を、外を歩いている時によく耳に入ってくる。動物本能的には「欲求不満」だと解釈してしまう。しかし、その道で歩いているTPOは人間的なTPOなので欲求不満ではない。「人ともっと交流を盛んにしたい」といった欲求が「おっぱいを大きくしたい」と発言する行動によって描かれる。

3mぐらい離れている人々の耳にまで聞こえるぐらい大きな声で「おっぱい大きくしたい」と道で発する動機はやはり「おっぱい大きくしたい(セックスしたい)」ではなく「おっぱい大きくしたい(アクセサリーとしてテンションあげたい・人と接する時も自ら信頼するという行動の一助としてもさらに役立って欲しい)」といった動機に違いない。

すなわち!

外を歩いている時に「谷間を魅せているから誘惑してきている!」「おっぱいを大きく魅せているから誘惑してきている!」と見なすのは勘違いだった。相手の意向と不一致が起こっていた。結果、アニメドラマを観るときにもおっぱいが魅せてきているキャストを性的に見たりしていて勘違いしてしまっていた。

巨乳や谷間を強調した方が歩いていると振り向きそうになってしまう。そして周囲を見渡すと意外に振り向いたりしている方も多々いらっしゃって安心感を覚える。そのときに「ついつい見てしまう…おっぱい」は正常なのだと思ってしまう。しかし、その結果として、性欲に振り回されてしまった。

そしてふと別の視点があるのではないか、別の入口があるのではないかと考察していると、おっぱいを目にするシーンが人間的な交流に反応するTPOなのに「動物的なエロ」に反応してしまっている自身に気づいてしまった。TPOの不一致に自分が至っていたことに気づいてしまった。

顔面をフイッと向いて「ガン見」して観るのは失礼なので「しかし、見たい!」と思い「見るだけなら…」といった欲望もつきまとい「チラッと目だけで観てしまっている自分」がいたりしていた。まさに、勘違いをしていた。相手は人間的な交流でおっぱいの一助を示しているのに、こっちは動物的なエロを求めていると勘違いしてしまっていたのだ。

それを商店街のファション店を歩いているときに勝手に自力で謎が解けてしまった。一人で謎が解けてしまった。ドラゴンボール超で「ズノー様」にブルマのバストサイズを聞いたりするシーンが描かれている理由は、貴重な30分にわざわざそのシーンに割く理由は「ブルマの“人との交流において積極的なキャラ”をさらに強く表現するために描かれている。」ためだ、と思うと楽しめた。

そしてまさにこの時、「サイヤ人のカミさんは気の強い人でないとやっていけない」といった旨のベジータ発言によって謎が解ける。気の強いキャラを表現すべく、ブルマのおっぱいを強調して描かれたり、はたまたベジータとブルマの新しい娘の名前があんなおっぱいを連想させる名前に名付けられたり、悟空の妻はチチという露骨におっぱいの名前だったり、とにかく「積極的であり信頼してくれるのを待つのではなく自分から信頼しにいくという肉食系キャラ、気の強いキャラ」が鮮明に描かれている。

すなわちアニメでもおっぱいは「何事にも積極的な性格のキャラクター」を表現できる部位として描かれる。もしくは外見が暗くても内には積極的でありたいと願う性格の“うちに秘めた肉食系”キャラも描かれる。

相手は「コミュニケーションを円滑にしたい」といった趣向によって積極的な行動としておっぱいを大きくしておっぱいの一助を借りているだけであり、明らかに豊胸ブラをしているのを見たときに「ラブホテルに誘って!」ではなく「なるほど、コミュニケーションを円滑にしたいのだな(誘惑しているわけではない)」といった感じ方が新たに、動物的なエロの視点ではなく人間的なエロの感覚で楽しめる。

すなわち、おっぱいも豊胸ブラで大きく魅せられたおっぱいも「アクセサリー」、「おっぱいはアクセサリー」だったのだ。そして性転換した時にやはりアクセサリーとして”その脂肪”を活用してしまう感がある。

胸は脂肪でありアクセサリーとして有効利用できる

アクセサリーをしている方としていない方が目の前にいたときにどちらが話しかけやすいかというとやはりネックレスが一本でも首に掛かっている方がやはり話しかけやすい。

障壁を感じない。壁を感じない。自らこちらに「話しかけてきて!」といった相手のほうからすでに信頼してきている感覚がある。膨らんだおっぱいもそのネックレスというアクセサリーの同類として一躍をかってくれている。

性転換する際は「おっぱいをできる限り大きくしたい。谷間もガンガン魅せたい。セックスが目的ではない!と言いながら本当はセックスしたいといった下心でもない。おっぱいがあることで相手の方に壁を感じさせなくさせてくれる、コミュニケーションの一助にもなってくれる、それにアクセサリー感覚でテンションあがる。」と思ってしまう。

目的はズバリ「人とより円滑にコミュニケーションを開始したい。ならば自ら先に一方的に信頼すればいいのでは?第一印象で全て決まるわけではない。数ヶ月頻繁に接触し続けることで人との交流が生まれ始めると言われている。ならば今からできることは、化粧をしたり髪を整えたりアクセサリーを付けたり豊胸ブラで“脂肪アクセサリー”も一躍かってもらうこと、常に相手を先に信頼する行為そのものである”おっぱい”、そのおっぱいの助けを借りられる。そのためにおっぱいをより認知してもらうために楽天市場で豊胸ブラも買ったし!よし!これからもっと人とつながるぞ!頼むよ!自分のおっぱい!多くの人とつながるぞ!(何度も言うけれどセフレとか恋人かそんな次元じゃないわ!人とのつながりを増やしたいの!オフパコじゃないわ!)」である。

性転換によりこの1つの真意に気づきやすい。そして、外出したらあらゆる女性をエロい目で「のみ」見てしまうといったゾーン、性の悩みに振り回されるというゾーンに滞留し続ける状態から急速に脱出できる。そして自身に付けるおっぱいも誘惑ではなくアクセサリー感覚となっていく。

その性の悩みゾーンから脱出させてくれる解決策こそが「胸=肉」である。「胸は脂肪のアクセサリー」という視点で性の悩みは急速に終わり始める。

ちなみに、「動物的なエロ」に滞留し続けた結果、「アダルト業界に搾取され続けている」と自分で自分を被害に見立ててしまう始末になってしまった。アダルト業界は搾取していない。勝手に被害妄想してしまっていた。その要因にあったのは「動物的なエロゾーンに滞留したこと」であった。

胸は脂肪のアクセサリーという視点でそのゾーンから抜け出せた。そして人間的な交流でのおっぱいの役割を楽しめるようになってしまった。アニメでもドラマでも新たな視点で再び観れてしまった。

ただ、動物的なエロのゾーンから脱出したときに「動物的なエロは未熟だ、穢れている」と排他的なことを考えてしまう。しかし、その排他的な価値観モードになった結果、楽しめなかった。

そして「動物的なエロ“も”楽しむ」という視点に切り替えた時にさらに楽しく変わった。そして、再び動物的なエロを求めるゾーンに滞留し続けないように動物的なエロを楽しむには「ジョークとして」楽しむという感覚が助けとなった。

そのとき、連鎖的に謎が解けた。なぜアダルトグッズショップがこれは”ジョーク”グッズだとう表現するのか。それは法規制ではなく「動物的なエロを楽しむのはあくまでジョーク感覚でお楽しみください」という公的良俗に適する社会的なメッセージだったのだ。

ジョークグッズと昔から書いているアダルトグッズショップは勇者だと改めて感じられた瞬間でもあった。胸はアクセサリーといった視点もただのジョーク感覚として楽しめてしまう。

そして今から、エロを新たな視点でも楽しめて、クリスマスに外出しても勘違いすることもなくなり、サンタさんからの贈り物と言わんばかりにビデオ屋で一枚108円でまとめ借りしたドラゴンボール超を見ている時におっぱいや谷間目に入っても勘違いせず集中できるようになった。観方は「胸=肉」「胸は脂肪という肉のアクセサリーだ」といった視点がやはり役立ってくれた。

「胸は脂肪という肉のアクセサリーなのだ!」といったジョーク混じりの視点で過ごした結果、意外に「性の悩み」はゴリゴリ無くなっていったのであった。

「胸は肉のアクセサリー!」性の悩みが終わるサイト“胸肉”

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