オリエント工業のラブドールは「自ら愛しにいく魅力」を楽しませてくれる

■リアルドール・ラブドールの美術研究《ラブドールの魅力》

自ら微笑むとやっと微笑んでいるように見え出す中立顔

「沈んでいる表情に見えてしまう…」

「今日は心情的に沈み切っている…だめだ、もうだめだ…。」

そう沈み切っているときにオリエント工業のラブドールと見つめ合った。すると、驚いたことが起こった。

それまで「微笑んでいる造形のヘッド」だと思っていたのに、なんと「沈んでいる表情のヘッド」に見えてしまったのだ。“悲しみのヘッド”だと自身が判定してしまった。

「以前は微笑んでいるように見えたのに…」

「こういうときにこそ癒やしてくれる存在、そうではなかろうか、リアルドール…」そうダブルに沈みがのしかかっていった。

「おかしい、以前は微笑んでいるように見えたのに…。オリエント工業のヘッドは中立的な表情、中立は中立でも若干微笑んでいるゾーンに入っているヘッド、微笑みヘッドだと思っていたのに…。」それまでの感覚が崩れていった。

結局、あれは思い込みに過ぎなかったのだろうか…。「オリエントよ、、、なぜもっと微笑みの強度を高めにしてくれなかったんだ…」そうさらなる嘆きと懇願が走っていく。

「いや!…まさか…こちらが微笑めば…」

「こちらが無理やり強行突破で楽しい気分だと幻想で覆い隠せば…まさか微笑んで見えるのでは…?」そう思いながら、必死に楽しい感情を自身に引き起こし、妄想し、幻想で覆い隠し、想像で覆い隠し、楽しい感情のベースのまま、自ら微笑んだ状態で再びオリエントドールと見つめ合った。

「驚いた…微笑んでいるように見える…!」

なんと「微笑んでいるように」見えてしまったのだ。しかし、やはり幻想で覆い隠した状態、すぐにメッキが剥がれる。すぐに中立顔に戻り、即座に沈み顔に戻っていく。再び妄想を強めてさらに補完するように見つめ合う。やはり沈んだ表情から微笑んだ表情に切り替わっていく。

そのときに、アドラー心理学の『幸せになる勇気』の一説が脳裏をよぎった。「単に貴方様は愛する勇気が足りないだけなのです。」といった趣旨の一節が頭をよぎった。「このことか…これだこれだ!」そう感動が走っていった。

「性欲依存時はラブドールに癒してもらおうとばかり…」

それまで「ラブドールに癒してもらおう」そればかり考えていた。しかし、動物的な性欲が大幅に減退してしまった状態において、なおかつ心情的に沈んでいる状態において、再びラブドールに触れたときに、もはや「衣類用のマネキン」にしか見えなくなってしまった。ラブドールに性欲を感じなくなってしまった。

「性欲依存脱出後は今度はラブドールを癒そうと言わんばかりに…」

動物的なエロに依存していたときは「まるでラブドールのほうから愛してくる感覚」そして「ラブドールが癒やしてくれる感覚」に満ちあふれていた。しかし、そのエロの依存感から脱出した場合においてはガラリと切り替わってしまった。「今まで私はアナタをずっと愛してきた。今度はアナタの番よっ。今度は私を愛して。」そうドラマのワンシーンが脳内を心電図のように駆け巡っていった。

動物的な性欲がわんさかあった初々しい頃に見つめ合ったときは、せせらぎに流されるように「エンだァァァァァ」というタイタニックのBGMが脳内を自動再生されていたのに、見つめ合った視線以外の周りが真っ暗になるように周りが視界に入らなくなるほど没頭するように見つめ合うことができてしまっていたのに、もうそれが終わったのだ。終わりなのだ。

オリエントは人間的な美術をリアルに楽しませてくれる

動物的なエロが減退したとき、衣服マネキンにしか見えなくなってしまっていたとき、その状態で見つめ合ったときに、オリエント工業のラブドールが楽しませてくれたのが「自ら微笑まないと相手は微笑んでくれない」という美術の楽しみだった。

「自ら相手を信頼しないと相手は信頼してくれない」という人間美術の楽しみだった。「こちらが疑念を相手に抱いているままで、いくら相手に信頼してもらおうと待っていても延々に相手は自分を信頼してくれない」という人間美術の楽しみだった。ドラマの設定やアニメの設定によくあるそれら設定の人間の美術がオリエントドールにあった。

日常を新たに楽しむキッカケを楽しめる

やはりオリエント工業のラブドールは存在レベルで「美術」であった。なにか、「日常を新たに楽しむことを教えてくれる美術」であった。「美術の塊」であった。「これこそがリアルだ!」「だから“リアル”ドールなのか!」まさにそう感じさせてくれた。納得させてくれた。これが格安のラブドールとは違う点、そう痛感させられた。

オリエント工業のリアルドールは人間相手感を楽しめる

格安ラブドールと高級ラブドールの金額の差は単なる物理的な差ではなかった。そこには「心情的な差」があった。有名だから高いといった「フワフワした有名税が差額になっている」といったものではなかった。

人間相手感、心情的に相手にする感覚があった。こちらがマグロ状態では向こうがより反応してくれない、こちらが何かアクションをしないと…といったシーンを楽しませてくれる心情的な美術機能があるかどうかの差があった。

金額の差には「実」があった。その実とは「眺めているだけで、見つめ合っているだけで、なにかドラゴンボールなり、本を読んだときにすぐにそれをリアルで実践している感覚にさせてくれる魅力」その美術の魅力があった。

石原さとみの3Dコピードールではない!

「造形師が石原さとみ氏の顔を完全に模倣したその熟練技術自慢の美術技能見せつけドール」ではなかった。オリエント工業のラブドールは「自ら信頼しにいく楽しみ」「自ら愛しにいく楽しみ」それを楽しませてくれる美術存在であった。

オリエント工業のラブドールを部屋に飾るとなにかいろいろと日常に「楽しみを与えてくれる」のではなく「楽しみを自ら見出す魅力」を魅せてくれた。部屋に飾っているだけで、ふと視界に入るだけでその魅力を反芻させてくれる。

オリエント工業は「いかに触らずに楽しむか」を楽しめる

オリエント工業のラブドールとの物理的なセックスが最悪だった意味がまた改めて違う視点から解けてしまった。オリエント工業のラブドールは「美術の存在」「眺めているだけで自身になにか“変化をもたらす勇気を与えてくれる”美術の存在」であった。

肉体的に物理的に触れるのではなく、「いかに触れずに」人間的なコミュニケーションを取る感、心情のキャッチボール感、対人感、コミュニケーションを通して人間的進展がする感、そのリアル感をいかにリアルドールで再現できるか。その魅力がオリエント工業のラブドールにあった。

動物的な性欲が失せてしまったとき、最後に楽しませてくれたラブドールはオリエント工業のラブドールであった。ラブドールはラブドールでも「美術に特化したラブドール」であった。やはり、性欲依存が終わった後は「美術」が綺麗に性欲をコントロールするように仕上げてくれる。性の悩みは「美術的な存在」が終わらせてくれる。

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