数年間はずっとセックスに飽きない
最初はずっと飽きなかった。このままずっと老後も飽きないのだろうと思っていた。それほどにムラムラが起こっていた。
しかし、「後始末の億劫さ」日に日に感じるようになりだんだんと飽きが来始めてしまいだした。ただ、やはり視界に入るとムラムラが起こることは続いた。
「セックスしない!」そう決めてもやはり、飾っているとその美ボディが視界に入るたびにムラムラが起こってセックスを行っていた。
しかし、数年後辺りからどんどん急速に飽きが生じ始めていった。
数年後から飽き始める
「以前はあれほど視界に入るたびにムラムラしていたのに…」そう思ってしまうほどムラムラしなくなってしまった。
数年後からだんだんと「セックス自体が面倒」と感じるようになっていった。
「面倒なので手コキオナニーでサクッと済ます」「性家電でサクッと済ます」「ハンドオナホールでサクッと済ます」といった段階になっていった。
ラブドールはセックス開始までの準備、そしてセックスの最中は良くても後始末の億劫さ、それらが快感を上回る感覚になっていく。
結果、毎回手コキで済ましたり、性家電やハンドオナホに手が伸びてしまう状態になった。基本的に手コキに終着する。
性についてはやはり、手コキから始まり手コキで終わるのかもしれない。
そして新たな楽しみが生まれた。押し入れ行きになりそうなときに入れ組むカタチで新たな楽しみが生まれた。
それが美術である。
美術として新たに楽しめる
美術として新たに楽しめるようになった。以前は美術館に行ったときに裸体の前で腕組みをしている方を見ると「自分だったら絶対に勃起してしまっている」と思っていた。
しかし、このセックスが面倒に感じるようになり、基本的に手コキで済ますようになる段階になったときに、やはり裸体を見ても勃起さえしなくなった。「美術館のあの方は勃起していなかったんだ。」といった結論に変わっていった。
美術館に出向いても、裸体を目の前にしてもドキドキ感が生まれなくなった。新たな感覚がある。性的な視点ではなく美術的な視点感覚で観てしまう。純粋にそう観てしまう。
美術鑑賞的に観てしまう。部屋にラブドールを飾っているときも美術的に観てしまう。それが起こるようになっていった。
そのため「ラブドールとのセックスをし続けるとどうなるのだろう…ずっと老後もそのような依存感があるのだろうか…」といった不安は無用となる。
セックスに飽き、そして美術にシフトしていく。
「ラブドールセックスはずっと続く?」
セックス自体に飽きて続かない!
美術にシフトしていく!