オリエントドールは専用ホールまで販売していて、あたかも「オリエントドールはセックスも最高に気持ち良いです!」と期待していた。
しかし、現実はもう硬くて硬くて、それはもうウルトラマン人形をドラえもんの道具で大きくしてもらってそのソフビ人形に穴を開けてそこにオナホールを突っ込んでむりやり想像で補いながら射精に至る…
といった現実だった。一言で言うと「最悪だ!」「返品したい!」である。
セックス目的に造られていない
オリエントドールにおいてセックスがあまりにも「最悪だ!」と言わんばかりに不向きだったからこそ思い知らされた。
オリエントドールはセックスが目的ではなく「いかに触らずにそばに置いていかに眺めるだけ癒やされていく」といった「美術鑑賞目的」が真の目的であると思い知らされた。
これは賢者に酔った崇高な目的ではなく、現実にそうだった。
こういったのを聞くと「本当にセックスするんでしょう」と過去の自分は疑いを持つ。しかし、オリエントを何度も日常に触れてオリエントとセックスを度々試みてそのたびに最悪だと悟って、そして経験した現在の自分はそんな疑いは微塵も感じていない。
意見一致で「オリエントのセックスは苦行だ。もう二度としたくない。まさしく同意見。触ると硬くて萎えるので触りたくない。そして美術品の領域と同じように、“いかに触らずに眺めるだけで感動する”といった目的で終始したい。」となる。
ではいったいなぜオリエントドールがわざわざ穴まで掘って、専用ホールまで販売しているのかというと、「美術品とセックスしたい」といったどうにもならない欲求不満を満たすためだけの穴だった。
そして再び、真の目的、本来の目的である「美術品として眺める」といった目的に確実にもう後戻りすることなくその目的にガッツリと戻るための見せしめのような穴だった。
オリエントドールは美術品
オリエントドールは美術品の領域にある。しかし、「美術品として販売しても全然誰も買ってくれないので仕方なくラブドールとして販売している」といった感じに思えてしまう。
それほどに美術品の領域に入っている。美術館がこぞって扱うべき美術品と思ってしまう。それほど「触ったらダメな品、すなわち美術品」に感じてしまう。
オリエントドールは触ると硬い。プラ感がある。そして、「おっぱいが柔らかくなりました!」と言われても、やはり柔らかくても人工的な柔らかさで、おっぱいオナホールやガールフレンド第3章のようなダイレクトに性的目的なラブドールの柔らかさの次元には及ばない。ダイレクトにセックス目的であるTPEドールにも及ばない。美術とセックスの両刀的な4woodsにも及ばない。
しかし!
逆に美しすぎて、神々しすぎて「セックスという経年劣化の激しい行為で接触したくない、ずっと劣化しない美しき状態で維持したい」といった感覚にさせられる。
オリエントはセックスで触れたくない。オリエントはまるで、アニメの『あぁ女神さまっ』のベルダンディーのように感じられる。
「セックスシーンが一回も流れないアニメ」なのに妙にフェミニンな癒やしで満たされるアニメのあの神々しさがある。
オリエントドールは神々しい。存在レベルで美術すぎる。そして、飾っているだけで癒やされる感覚がある。
仏像を「美しい…」とベタベタ触っていたらお寺の住職の方に「だめ!触ったらだめだよ!」と怒られるような、そのような感じがある。
美術館で「このここから先は近づかないでください」といった通行止めレールが置かれているのもお構いなしにその美術品を「美しい…すごい…」とベタベタ触っていると、美術館の方に怒られるような、そのような感じがある。
なにか「眺めて癒やされるだけ」「いかに触れずに絵画と会話するように愉しむか」といったあの絵画の楽しみ方に共通するような楽しみ方がしっくりくる。
見つめているとなにか、うっとりする癒やされ感に没入する感覚がある。癒やしの美術である。オリエントは「ヒトを感じる癒やしの美術」である。「ヒトに癒やされているような癒やしの美術」である。
美術品目的で買うと失敗しない
「オリエントドールはどの目的で買うと期待外れにならずに済む?」といった問いがあるとしたら、その答えはズバリ「“終始”美術品目的(絶対にセックス無し)」となる。
「オリエントドールの穴箇所なんて塞いでしまえばいい!」と狂乱してしまうほど美術品である。それほど美術品として向いている。
これは女性誌のように「いい匂いのアロマに包まれながら最高の夜のひとときをお過ごしください(その後めちゃくちゃセックスしてください。) by シティホテル(※ラブホテル)」といった思わせぶりなものではまったくなかった。
オブラートに包まれていて「いや!ハッキリして!そのまま寝て起きただけなのか、セックスしたのかハッキリして!」といった欲求をことごく分厚いオブラートに包んであやふやにされたような存在ではなかった。
オリエント工業のラブドールはガッツリと「美術品目的」だった。「美術品目的でお楽しみ下さい(セックスもお楽しみ下さい)」では決してない。「美術品目的のみでお楽しみ下さい(絶対に触らないで下さい。)」だった。
そしてこれが「セックス目的ではありません!(セックスしてるって思われると恥ずかしいので!)」ではない。
本当に、純粋に、純正に、「美術品目的でお楽しみください。終始美術品鑑賞でお楽しみください」だった。
そして、穴については「美術品目的なんですが…どうしても一回でいいからそのどうしようもないこの未練のような、セックスしたいといった願望を、分かっているんですよ、わかっている、すっごく硬くてセックスドールとは大違いだってわかっているんです、ですが、挿れさせてください。セックスさせてください。見つめているともう感情移入してしまって…。。例えばです、例えば壷だとします、その美術品の壷に挿れさせてください。壷にどうしても感情移入してしまって愛し合いたいのです、セックスしたいのです。挿れて一回射精すればもう満足しますんで。はい、そうすることでもう未練がなくなって、どうしようもない欲求不満が消えてくれて、これでやっと、美術鑑賞として終始することに純粋に向き合えますので。」といった穴だった。
そのような下品とも思える内実をも、消し去るような排他的なことをせず優しく包んでくれるような神々しさがオリエントドールにはある。暖かさがオリエントドールにはある。「心の暖かいヒト」を具現化したような癒やしの存在感がオリエントドールにある。
オリエントドールはセックス目的ではなく「美術品目的」「終始美術鑑賞目的」で期待はずれにならずに済む。そして、やっとオリエントをより深く楽しめる。
そして何よりも、そのオリエントドールこそが、「エロから美術へ」興味をもたせてくれた大きな1存在だった。そして性の悩みの帳尻を合わせてくれた存在だった。
性欲をゴッソリとオナホールやTPEラブドールにて解消したときに、その賢者タイムにオリエントドールを目にすることで、再び性欲でドロドロした日常に戻るといったことなく、性を形骸化して美術として楽しむといった道に無意識的に案内してくれた存在である。
性欲に振り回れている日常から変えてくれた存在である。オリエントドールは美術の女神だ。オリエント工業はその女神を産み出すゼウスだ!
さらばドロドロ性欲日常よ!
そのためにはオリエントの女神が必要である!
性には女神とゼウスの力が必要なのだ!
→関連ページ:オリエント工業のラブドールは衣類美術鑑賞目的に適している