雪が上質なクッションのように積もる
『上質な極厚クッションのベンチ』といったアート作品のよう。思わず写真に撮りたくなってしまう。冷たくないならば顔を埋めたい。ふかふか感もエロい。まるでふかふかニットワンピの谷間に顔を埋めるような妄想が自然に走っていく。興味が走っていく。
「いや!我はそんなものには興味ない!人通りも多いし!写真撮れない!顔をうずめるなんて、試しに座ってみるなんて…」と通り過ぎても、そのすぐ先の信号待ちで「やはり引き返して先程のベンチ…せめて撮りたいな…」と未練を感じてしまうほどのインパクトさの雪ベンチを目の前にできる。
名称にするならば、ドラゴンボール超のごとく『雪ベンチ超』一般的に言うと『雪ベンチ – もっさり版 -』牛丼屋風に言うと『激盛り雪ベンチ』である。北海道に移住すると、それらの『おもしろ美しい雪風景』を日常で見られる。
北海道は秋まで座れる。冬から撤去されて座れなくなる
北海道札幌には至るところにベンチがあって座れる。どの時間帯でもサラリーマンの方々も主婦の方々もお食事等で座られているのが見受けられるその巨大な大通公園。歩いているだけでも賑やか&まったりでテンションが上がる場所でもある。しかし…
冬になり出すと、老朽化を防ぐためにゾクゾクとベンチが撤去されてしまう。特に巨大な大通公園のベンチはすべて撤去される。そしてイルミネーションの建設が始まり出す。設営が始まり出す。そして…
11月末頃、冬はベンチが撤去され『イルミネーション公園』に生まれ変わる。これまた壮大な美術を目の前にできる。北海道札幌は美術の街と言っても過言ではない。
北海道は極寒&雪大量であるものの、その雪を美術に有効利用している。人を笑顔にすることに有効利用している。邪魔者扱いせずその雪々を美術に迎え入れる暖かさが北海道にある。その暖かさが胸に染み渡りながらの観光。雪景色にほっこりした気分で没頭できてしまう。
札幌駅周辺のベンチや歩道等にあるベンチは撤去しない方針なのかベンチはそのまま残る。ただ、やはりその残ったベンチには雪が積もったり雪が積もっていなくてもベチョベチョで座れない。
「雪」がどっさりとベンチに積もる。しかし、これまた美術的なベンチとして楽しませてくれる。何よりも「自然が勝手に造った感」があって感動する。氷点下の極寒冷気と共に胸の肉に感動が染み渡っていく。五感が刺激される感がある。自然が生み出す感動作品を日常で目の前にできる。
雪で外のベンチに座れない
連日雪が降るため、座面が見える日は少ない。たまに気温と日当たりの組み合わせで座れるベンチに遭遇する。
しかし、やはり溶けたばかりなのか水たまりやベチョ濡れしたベンチであることが多い。座れない。しかし、美術品。「これは機能的なベンチではありません。アートです。」といった感覚。「“冬”を表現したアートです。」といった感覚。
寒すぎて性欲が消滅してしまう感覚、そんなときにバトンタッチするかのように美術鑑賞的な欲求を引き起こしてくれる北海道札幌の観光風景。性の悩みを終わらせる場の1つとしてもやはり楽しめる。
商店街や地下や駅や施設内にベンチがたくさんあって座れる
北海道の冬はベンチがことごとく撤去されるものの「座る場所に困る!」といったことは実は起こらない。なぜならば北海道の札幌には地下や施設内にも座るところがたくさんある。
屋根がある場所、地下の歩行空間、巨大な駅内、巨大な地下商店街、しばらく座る場所が見当たらないゾーンもあるものの、場所を知っていると億劫感を感じない。いずれも無料で入れる施設、無料で座れる、くつろげる。
北海道札幌はエロい裸像がたくさんある街。「太ももへ滴り落ちるほどビチョビチョに濡れたエッチな北海道裸像」にも勃起しないほど寒くなる冬、氷点下が常の街。しかし、テーマ「冬」を美しくリアルに描き出した途端、ビチョビチョに濡れた裸像を見ても美術的に見えてしまう。住環境全体が美術的になっている。札幌で性の悩みも変わり出す。
北海道は雪でアートに造り替える。
胸の肉に冬が染みるような感動が走っていく。
性欲が溶けるような感動が走っていく。