北海道大地震の当日の夜、やっと全域停電から辺りが復旧して外が賑わっていた。夜の9時30分頃だ。北海道は夜9時頃になると途端に外から人がいなくなるのに、まるで「さっきお祭りがあってその帰りなんですよ」といった賑やかさと人混みで溢れかえっていた。そんなとき、人混みに掻い潜り歩きながら何度も目に入ってしまったものがある。「素人ノーブラおっぱいたち」だ。
「ノーブラおっぱいだらけ…」
皆がみんな「生活着姿」なのだ。シャツをバサッときただけのような見た目。グレーのヤンキージャージ。ヘビーメタルバンドのイカすシャツ。パンティなのかパンツなのか分からないジーパン系パンツ。生脚。だらしなく垂れたシャツから見えるしっとりしていそうな胸元。たゆたゆのおっぱいが寄りかかったように生々しく膨らんだおっぱいシャツ。ゆさゆさ揺れていてブラジャーをしているように見えない。ノーブラだ。乳首もうっすら浮き勃っている方も目立つ。
「ラジオ体操の“茶色デカ勃起乳首”透け熟女」を思い出す
その避難食品をコンビニやスーパーに買いに出る北海道の生々しい「シャツから透けてるおっぱいたち」その素おっぱいパラダイスシャワーを目で浴びたときにフラッシュバックしてしまった。
「小学生の頃のラジオ体操茶色乳首勃起透け透け事件」だ。
小学生のときに年長者だった“ボク”には下級生の方々が3人ぐらいいた。夏休みのラジオ体操。その下級生たちが朝の時間に「彼らの母親を連れて」集合場所の公園にやってくるのだ。
そのときの母親が「茶色で、ゴロゴロした乳首で、しかもノーブラ」で、いつもシャツからその茶色とデカい乳首がラジオ体操中に「透けて見える」のだ。
「さっき、漬物漬けてきたわ。」といったような伯母様だったがそれでも勃起してしまった。夫に舐め倒されているであろうその茶色で大きな乳首が「ラジオ体操中に透ける、揺れる、透ける、揺れる」。
ガッチガチに勃起して我慢汁でビチョビチョになってモッコリさせながらラジオ体操をしていた幼少期の自身の情景が甦った。「熟女好き」になってしまったのはそれがキッカケであろうと確信してやまない。
あの頃のラジオ体操のときの「透け茶色デカ乳首ゆさゆさオッパイ」を連鎖的に思い出してしまったのだ。
「エロ…くない。。。アクセサリーだ…!」
その大昔から何年も経ち、いざ性の悩みから振り回された性欲異常状態からやっと卒業できた段階で、その被災物資を買い込もうと躍起になって繰り出してきた大勢の方々の「シャツから揺れ膨らむ若干透けてる素人おっぱい」が何度も視界に複数入ったときに「勃起しなかった」のだ。「ムラムラしなかった」のだ。「アクセサリーだ!」そう思ってしまったのだ。
おっぱいをエロではなく固形物の美術として見なしてしまった。おっぱいはアクセサリーだと見なしてしまった。そのとき同時に「このあと滅茶苦茶セックスするんでしょう!映画のエンディングのようにこの後、夜に熱い熱いセックスをするんでしょう!」といった以前の嫉妬さえも湧かなかった。アクセサリーだ、美術だったのだ。この後いくら熱いセックスをされていようが祝える感覚になったのだ。
北海道大地震で「おっぱいはアクセサリーだ」ということを再確認できてしまった。
今回の北海道大地震(北海道胆振東部地震)によって、胸を肉のアクセサリーだと「ジョーク」感覚で見なすことが「性欲から卒業させてくれる決め手の1つだった」ということを改めて痛感したのであった。
所詮この視点はジョーク感覚ではあるが、しかし、やはりジョークだとしても「エロいとみなさなかった」感覚だった。美術感覚だった。緊急時でさえよからぬことを想起しなかった視点だった。北海道大地震が「おっぱいはアクセサリーだ、胸は肉のアクセサリーだ」ということを再認識させてくれたのだった。
おっぱいは、胸は、肉のアクセサリーなのだ!!!
この視点こそが「オンナをエロい目でしか見れない状態」を変えられるのだ!!
胸を肉のアクセサリーとして楽しむことで「性欲に振り回される日常」を終わらせることができる!
さらば性欲依存の日常よ!
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