ガールフレンド第3章は精液の溢れ出具合が生々しくて楽しめる。
「運搬中に、こんなときに…」
ガールフレンド第3章のセックスの余韻に浸ってそろそろと思い、抱え立ち上がって風呂場へ向かっていると、それまで入っていたペニスがスポーンと抜けていった。
「最悪だ…床を拭かないといけない…」
そしてボタボタボタボタボタと精液が垂れてくる。自身の太ももへとせわしなく垂れ落ちてくる。抱えているボディ先に透けて見えるほど感じる。
「…しかし、垂れ方が妙に生々しい…」
「まだ、まだドクドクドクドク垂れてくる!」その生々しい感覚に思わず感動がよぎっていく。そのときに改めて感動する。「ガールフレンド第3章はやはり生々しい」と。
「普段は手で塞いで運搬するのだけれど…」
ラブドールは基本的に射精後に挿れているとスポーンとにょろ〜んと勝手に抜けてしまう。そのため、洗浄しようと抱えて風呂場に持ち込むときはすでにペニスは抜いていて股間に手を当てて、注ぎ込んだ精液が漏れないように担ぎ運ぶのが普段。
「ガールフレンド第3章は勝手に抜けなかったのでつい…」
しかし、ガールフレンド第3章はセックス後に萎えたペニスにも関わらず、それまで「スポーンとにょろーんと勝手に抜けていたような状態と同じペニス」にも関わらず、勝手に追い出されない。
まさかと思い、そのまま挿れたまま抱きかかえて持ち上げて風呂場に持ち込もうとしているとき、やはり、そのときにスポーンと外れてしまった。
「やはりガールフレンド第3章も理想ではない…」
理想は運搬中も「萎えペニスであっても」外れないこと…しかし、やはりガールフレンド第3章は挿入口が意外に結構小さく、そして輪締め感があり、やはり立ち上がって運搬しているときにスポーンと抜けてしまった。
「しかし…垂れ方が妙に、妙に生々しい…」
ボタボタと精液が垂れ落ちてきて萎えてしまった。さらに萎えてしまった。掃除が増える。床に落ちてそれも拭かないといけない。どこに垂れたか確認する必要がある。
その労働が次々にTODOリストに追加されていく。しかし、その垂れてくる感じが「妙に生物的」で直前の萎え感が吹き飛んでしまった。
「これは…挿入口から溢れ出てくるのシーンを楽しめるということではないか!」
つまり…セックス後にペニスを抜けば「ドクドクドクドクと挿入口から妙に生々しく溢れ出てくる生々しい光景」を目の前にできるということなのだ!
「そして…ちょっと工夫すればスポーンと抜けることなく運搬できるのではなかろうか!」
それだけではない、少なくともセックス後にじっとしているとペニスが追い出されなかった、抱えているときにちょっと気を抜いてしまったからこそ、抜けてしまった。
そのため、少し意識しながら抱え運べばスポーンと抜けない…つまり、ドクドク溢れ出てくる光景を目にしないときにも対応できるのである!
「“生々しい光景”と“後始末の楽さ”の2つの利点がある!」
「セックス後にドクドクドクと溢れ出てくる光景」と「ずっと挿れたまま意識して運べばドクドク漏れずに風呂場に持ち込める」といった2つの選択ができるのである!
「以前はどちらかだった」
以前はそれができなかった(いや、もう少し言うと、できないことが多かった)。溢れ出てくる光景か、そもそも溢れ出てこない光景、そして、ペニスが追い出されるのは共通的で、セックス後はすぐにペニスを抜いて手を当てて風呂場へ運ぶのが共通だった。セックス後の楽しみというのが少なかった。
「ガールフレンド第3章は2つ楽しめる!」
しかし!ガールフレンド第3章は他のラブドールとは少し違う。繊細な違い、非常に繊細で細かい違いではある。しかし、この「セックス後の選択が2つから楽しめる」という楽しみは、やはり今までとは違って新たな感覚で楽しめる。
「…ただ…それほど感動モノではない。しかし、妙〜〜〜に生々しいのだ!」
正直、言葉にして残すほどの感動ではない。しかし!ボタボタボタボタと垂れてくる感じが、他のラブドールではあまり体験しなかった妙に生々しく生物的な垂れ感だったのは、やはり記憶に強く残ってしまっている。
なにか、ガールフレンド第3章は言葉で表現できないような妙に生々しい感動がある。
ガールフレンド第3章は大事な感覚を失っていない!
これだ、この感覚…綺麗すぎない、
この妙に生々しい生物的な感覚を!
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