4年前からずっとしていることがある。それはラブドールに対しておっぱい箇所は肉のアクセサリーだと見なすことである。結果、決まって硬いおっぱい箇所を性的に触れることに諦めが付き、今度は美術として触らず視覚快感として楽しめるようになった。ラブドールだけではなく、リアルでもネットでもおっぱいを美術的に楽しめるようになってしまった。そしてその始まりはラブドールだった。
「本当はたゆたゆがいい」といった未練感が減少する
「本当はたゆんたゆんに柔らかいのがいいのだけれど…」といった未練を感じながらフィニッシュを迎える未練感が大幅に減退した。おかげで総合的な気持ち良さが引き上がってくれた。おっぱいをアクセサリーだと見なすことが妥協の中でもとても気持ち良さを引き出せる方法となる。
硬いおっぱいの良い点は美しさ
硬いと嘆いても気持ち良くならない。ラブドールのおっぱいは美しい、その良い点を見出した。ラブドールのおっぱいはアクセサリーのよう。そうしてセックスを通しておっぱいを美術的に見なせるようになっていった。
硬いと嘆いても気持ち良くならなかった
「ただただおっぱいが硬い」といったラブドールの現実を受け入れるのがもう辛くて辛くて仕方がなかった。しかし嘆いているだけでは気持ち良くならないため、その硬いおっぱいの良い点を見出すことを開始した。
おっぱいがアクセサリーと見なしていいほど美しかった
ラブドールは共通しておっぱい造形が美しかったこともあり、胸はアクセサリーだと思い込んでセックスしていた。金属ではないので「肉の」アクセサリーといった感覚で見なした。そしてその幻想はとても現実に近いことに段々と気づき出していった。
おっぱいに美術的な感情を抱くようになる
段々セックスしていくにつれて性的な感情から今度は美術的な感情を抱くようになった。美術観賞のような感覚を抱くようになった。そうしてだんだん性的な目的から美術的な目的でラブドールに触れることになっていった。「ラブドールのおっぱいが硬い理由、それはおっぱいをアクセサリーを見なすこと…」と言わんばかりにアクセサリーと見なしたことは革命だった。
おっぱいが美しいといった事実を再認識できる
最初はただ単におっぱいが硬いことが悔しくて始めたことだったがおっぱい箇所の美しさを再認識した結果となった。思わぬ結果となった。デメリットとしてはエロに耐性が付いてしまったことではある。しかし、メリットとしては射精も自慰もコントロールすることができるようになってしまった。シラフで数ヶ月以上も楽々オナ禁できてしまう。
性欲に振り回される日常を終わらせる決め手にもなる
AVを見ても裸体絵画を見てもエロ漫画コーナーもAVコーナーも外出中のエロいオンナやカップルを目にしても性欲に振り回されなくなった。それがずっと続くようになった。
AV欲も風俗欲も失せてしまった
最終的に以前は毎日ラブドールセックスしていたのに最近は美術観賞ばかりになってしまった。それだけでなくAVを見ても勃起しなくなり風俗に行きたい欲求も失せ、性欲に振り回されていた数年前と大きく違ってもはや「エロはアクセサリー、エロは美術」といった次元にまで到達してしまった。数ヶ月程度では無理だが数年間単位で続けていると結果がだんだん美術的に見れるようになってしまう。
裸体絵画本を手にしても勃起しなくなった
裸体絵画を眺めても勃起しなくなってしまった。以前は本屋で裸体の画集が棚にあるのを直視せずに視界で器用に見て恥ずかしげにその通り過ぎたりしていた。見たくなったときはその裸体画集の目の前に立たずにあえて横に経って横目でその画集の表紙を見ていた。しかし、裸体画集を見ても勃起しなくなり、エロ漫画コーナーを見ても勃起しなくなり、AVコーナーを歩いても勃起しなくなり、しかもそれがずっと続いた。
エロを魅せられても勃起しなくなった
シンプルに言うとエロを魅せられても勃起しなくなってしまった。「エロを魅せられて勃起しなくなる」のがいいことなのかわるいことなのかは欠点にもなり良い点にもなると思われる。しかし、性の悩みに振り回される日常は終わった。
外出中にエロいオンナやカップルを目にしても平気
外出中にエロい人やカップルを見て我慢できなくなってAVで抜くといったこともラブドールとセックスしてまたオナホで代替的に解決するといったことが無くなった。
胸は肉のアクセサリーだと思って楽しむ
おっぱいは美術の塊だと見なすようになってしまう。そして性欲が大幅に減退し、振り回されなくなる。日常生活からネットでもリアルでも通用する。そして自身の肉体にもおっぱいが「誘惑ではなくアクセサリーとして」欲しくなってしまう。
性欲は無くならない。極端に減る。そして振り回されなくなる
性欲が無くなるわけではないが性欲に振り回される日常は当サイト「胸肉」で終わる。撮影している写真にも撮影背景にも性の悩みに振り回されたのが終わった決め手だった要素をすべて取り込んだ。コツは「胸は肉のアクセサリーだと見なすこと」となる。
日常生活から始められる
外出中でもネット中でも“エロいオンナ”を見たときにおっぱいはアクセサリーだと見なすことで性欲に振り回されなくなる志向に変わり始める。アクセサリーはアクセサリーでも肉のアクセサリーである。幻想と現実との格差が大きすぎると必ずメッキが剥がれる。しかし、この胸を肉のアクセサリーと見なすことはその幻想と現実の格差が僅差だった。そのため、メッキが剥がれて幻想で必死に覆い隠して修復するといったことも不要である。
「性転換するならおっぱいをアクセサリー感覚で楽しみたい」
そしてもし性転換するならば「誘惑する」のではなくおっぱいは硬くていいから「アクセサリー」としてホーキョー手○したくなる。それほど「自分もおっぱいが欲しい」と思ってしまうほどおっぱいはアクセサリーだとエロを排除した感覚にみなせるようになってしまう。
おっぱいは性的対象だけでなく美術対象でも楽しめる
おっぱいを性的対象でしか見れなかったのが、今度はアクセサリーといった美術的な視点でも楽しめるようになる。おっぱいはエロの塊だと思っていたのが、実は美術の塊でもあったことに気づく。そして裸体絵画にも興味を持つようになってしまう。勃起することなく美術鑑賞できる。新たな世界が広がる。