AVを観ても全然勃起しなくなってしまった。そんなときに成人漫画(エロ漫画)や官能小説を手に取った時にやっと勃起できるようになっていった。
そして何よりも以前と違うことは「成人漫画や官能小説で抜かなくなったこと。」これが明らかに違った。あえて抜かずに読書に終始できるようになってしまう、胸肉で。
「官能小説はAVのつなぎでは?」
最初、エロ漫画や官能小説の存在意義がわからなかった。結局、AVのつなぎだと感じていた。
「結局そのあとAVを見て抜く」この流れになるための前菜だと思っていた。
明らかに刺激が違いすぎる。明らかにAVのほうが刺激が強い。
「明らかにAVのほうがコスパがいいのでは?」
白黒の静止画になるエロ漫画は刺激が弱い。わざわざシーンを想像する必要がある官能小説はさらに刺激が弱い。
明らかにAVのほうがコスパがいい。明らかに刺激が強い。明らかにAVのつなぎ的存在。
官能小説やエロ漫画は読む時間が必要になって時間が食われる。AVはそのような時間が無い。明らかにAVのほうが効率がいい。
そのように感じていた。
「AVさえあればエロ漫画も官能小説も要らない」
そう感じていた。しかし…
性欲が無くなった段階で再び復活させてくれた存在がエロ漫画や官能小説だった
…しかし、性欲に振り回されるのが終わった段階、AVを見ても勃起しなくなった段階、ラブドールを眺めてもムラムラしなくなった段階、
ムラムラしてセックスしたいと一瞬思っても準備が必要なので見るだけで終始するようになった段階、
その段階になってやっと勃起させてくれた存在が「エロ漫画」だった。「エロ小説」だった。
「この世にエロ漫画や官能小説が無くてもAVさえあれば生きていける」といった感覚だったのに、それは間違いだった。
若干の性欲は他のことで楽しむのに必要
性欲さえ湧かなくなってしまえばいいと思っていたものの、いざ無くなる状態がずっと続くと「なにか必要なものが欠損している感覚」になっていった。
衣食住を楽しむにしても「少し性欲が溜まっている状態」がベースに必要であった。性欲は実は性的目的以外でも役割を担ってくれていた。
かといって以前のような性欲に振り回される段階に戻ってしまうと色々とストレスが多い。
「軽い性欲を取り戻したい」
「ムラムラし過ぎない軽いレベルでいいので性欲を取り戻したい」
そういった時にAVではなく、エロ漫画が性欲を少し取り戻してくれた。
さらにエロ漫画で性欲が湧かなくなってしまった究極の段階。その段階で性欲を少し取り戻してくれた存在が官能小説であった。
そして「エロ漫画や官能小説片手に手コキオナニーする」と思いきや、ただただ読んでムラムラを取り戻して「ペニスも触らずあえて抜かずに終える」といった状態になるようになった。
「オナニーで使い捨てられる官能小説」にならなくできる
これにより、「ムラムラし始めてしまって、手コキを始めて官能小説がイゴイゴ動いて集中できなくなりながらも、射精に至った後は賢者タイムに本棚の奥に追いやられる」といったのが終わった。
「結局オナニーのオカズになって使い捨てられる官能小説」「結局オナニーに使われて“もう用は無い!”と言わんばかりに使い捨てられる成人漫画」といった流れにならなくなった。
官能小説を熟読し、官能小説を純粋に楽しむという領域に至れたのである。そして官能小説を本棚のセンターに置けるようになったのである。
もはやエロ漫画や官能小説は美術である。
性欲は生きていく上で少し必要に感じるようになる
抜かない、あえて抜かない。溜める。溜めることでやっと必要最低限の性欲が取り戻される。そしてやっと日常が楽しめる。
そのことをだんだん痛感するようになっていった。
性欲を無くせば楽しめると思っていたものの、ある程度性欲は必要に感じられる。
性欲に振り回される段階が終わってやっと身をもって体験した感覚だった。
性的嗜好以外のことを楽しむには、ある程度の性欲がベースに必要である。
「抜くのがゴール」にならなくできる、胸肉で。
何よりも以前と違うことは「官能小説やエロ漫画は射精してゴール」といった感覚だったのが終わっていったこと、これが明らかな違いだった。
「先ほども同じこと言った?」と言われんばかりに何度も何度も言いたくなってしまう。
「エロ漫画も官能小説も抜かずにペニスも触らずに読書に終始できる」これは衝撃である。
これを何度も言いたくなってしまう。
抜かずにためる新しい次元へ、胸肉で。
本屋に行って官能小説を手に取って読むと新しい領域が開ける。
そして、
「エロ漫画や官能小説を読んでも抜かなくなる。純粋に読書に終始できる。」
この段階に至れてしまう。
そしてその段階に至った全ての始まりは「胸は肉のアクセサリー」であった。
「AV観ても勃起しなくなってしまったら?」
成人漫画や官能小説である!
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