もう終わりだ。終わりなのだ。すべてを断捨離したい。そして「もうこれしか要らない」といったものだけを部屋に残したい。オナホールさえも、ラブドールさえも、すべて含めて断捨離したい。そして節約を徹底させたい。
といった感覚で「ミニマルを追求」した場合、オナホールにおいては「性家電」がその最終候補に残ってくれる。
ハンドオナホールを複数購入したときに困ることがある。それが保管である。保管で困る。そして何度も何度も「ホコリまみれ」と「カビだらけ」で「もう生挿入できない状態」に変わる。特にこれは「風呂場に放置した場合」に起こる。結果、劣化が激しいため、再び新しいハンドオナホールが欲しくなる。
そのため、標準のハンドオナホールはミニマリズムには不適となる。購入したら捨てる手間、そして新しいオナホを購入したときにパッケージの処分が出る手間、そして「カビが生えないように気を使って管理する手間」が生じる。
かつてオナホールの最終地点としては「テンガ」だった。
使い捨ては基本的に1回しか満足に使えないのでミニマルには向いていない。工夫すれば複数回使用できる。しかし、そもそも工夫して使用すること自体が億劫になる。おまけに使うたびに買い足す必要があって節約に向いていない。ミニマル感には合わない。
そして使い捨てではなく「フリップゼロなどの何度も使えるオナホール」に行き着く。しかし、だんだん飽きてくる。理由は「自分で動かす」のに飽きてくる。幸い、ハンドオナホールの中でも、テンガのフリップゼロはなんと「吸ってゴロゴロ舌で転がしてくる感触」がある。相手のほうから責めてくる感触がある。しかし、やはりそれも飽きてくる。
そして求めてしまう。「誰かに抜いてほしい」と。そのときに性家電へシフトしていった。そして性家電にシフトしていったとき、やはりそのフリップゼロの使用頻度は非常に減ってしまった。
そして最終地点の修正へ、オナホールの最終地点はズバリ「性家電」である。
性家電になって「やっと次々にオナホールを買いたくなる感覚」が消えていった。「特定の領域を満たせなくてその部分を渇望し続ける感覚」が消えていった。
その渇望していたのは「人に抜いてもらう感覚」である。ミニマルを求めた場合この人間的な要素がハンドオナホールに必要だった。
ミニマリズムを追求した結果、最後に残るのはロボ的なオナホールでもなく、人工的なオナホールではなく、最後に残ったのは人間的なオナホールだった。
ミニマル志向において「物理的に直接的に非常に気持ち良いこと」が必要だった。そうでなければもっと気持ち良いオナホールが欲しくなる。
しかし、そのもっと気持ち良いオナホールがほしいといった感情が湧かなくなった終点こそが性家電であった。少なくとも「新作の性家電が出れば検討する」といった感覚にまでミニマルにできた。
さらにもう1つある。ミニマル志向において「ヒトに抜いてもらっている感覚があること」これが必要だった。
そうでなければ結局「風俗のつなぎ」にしか思えなくなり、結果としてずっとシティヘブンの日記を見ては行きたくなる衝動に駆られた。しかし、それが終わったのもやはり性家電だった。
電動オナホールと性家電は違う。それは「ヒトを感じるか感じないか」が違う。電動オナホと違って性家電は動作感に、その動き感に「ヒト」を感じる。目をつむると驚く。まるで「ヒトにしてもらっている」といった感覚に豹変する。ロボみたいな見た目だからロボにされていると思ってしまうだけで、目をつむるともうそれはそれは、ヒトである。
「直接的に非常に気持ち良いこと」そして「心情的にヒトを感じること」それを秘めたオナホールこそが、断捨離に断捨離を重ねた結果、最後に残るオナホールとなる。その存在こそが「性家電」である。
「断捨離したい!」
「節約したい!」といった場合は
性家電である!
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