A10サイクロンSA+PLUSの入った梱包箱を郵便局の窓口で受け取り、徒歩で持ち帰るときの大きさは腕で気楽に抱えられる大きさだった。帰路の途中で腕を変えるような重さや大きさではなかった。重過ぎではなかった。大き過ぎではなかった。そしてジロジロ見られることなく持ち帰ることができた大きさであった。
あえて明らかにオナホールだと分かる配送元名と商品名にしたのに相変わらず、そのGoogleレビュー★★☆☆☆の特に接客対応が低評価な郵便局の方は笑顏に接客をされて気持ち良く窓口で受け取ることができ、さらに疲れることなく気軽に気持ち良く持ち帰ることができた出来事となった。
腕で抱えられる大きさと重さ
A10サイクロンSA+PLUSの梱包箱は抱えて軽く持ち帰る大きさ。バッグに入る大きさ。
一度も持ち替えることなく持ち帰れる
徒歩で帰路の途中で持っている腕を持ち替えたりしなかった。それほど心地よい大きさと心地よい重さであった。「重くなってきた…」と何度も持つ腕を片方に替えたり、また「ヨイショ!」とリセットのごとく再びガッシリ持ち直したりすることがなかった。一度も持ち替えることなく持ち帰れる。
腕が痛くなることなく持ち帰れる
「両手でもってやっと持ち帰れる大きさ」といった大きさではなかった。片腕と脇でサクッと挟める大きさ、そしてそれを何十分も気楽に維持できる大きさと重さだった。
30分の持ち帰り徒歩岐路&猛暑にも関わらず、ダンボールが大きすぎないためかその抱えている腕に「ダンボールの角が当たってきてだんだん痛くなってくる」といったことも起きなければ、大きさと重さで疲れて帰るといったことも起きなかった。
「郵便局留めや営業所止めで注文したのはいいが徒歩で持ち替えるのが億劫」になることはない。
長期の岐路でも疲れない重さだった
A10サイクロンSAプラスの重さが重すぎないことのメリットを思わぬところで感じた。それは郵便局から持ち帰るときに萎えなかった点である。片手で抱えていても萎えなかった。
手がしびれたりしなかった。手がダンボールの角とその重さの自重でだんだん痛くなってくるといったことも起きなかった。重くない。郵便局留めで徒歩の持ち帰りでも楽に持ち帰れる。
片手カバンでも持ち帰れる重さ大きさ
荷物を受け取るために「両手で持たないと持ち帰れないだろうから今日は背負うバッグかショルダーバッグにして行く」といった必要がなかった。片手だけで持ち帰れる大きさだった。
「本当はすごく持ちづらいけれど漢らしく片手だけで持ち帰れる!」といったものでもなかった。たとえ疲労困ぱいしていたとしても気楽に持ち帰れる大きさと重さだった。普段片手に持つカバンのスタイルの場合でも楽に片腕で持ち帰れる。
猛暑日でも萎えなかった
持ち帰ったのは猛暑日だった。それなのに暑い暑い猛暑日の中、疲れなかった。それほど軽かった。大きさも小さかった大き過ぎなかった。ずっと片腕で脇に抱えて歩いて持ち帰っていたのに萎えなかった。
猛暑日で30分持ち帰っても萎えない
距離は徒歩30分の距離、それでも「帰ったらやっと開放されたかのようにバッグをドサッと置く」といったことになることなく、スッと棚の上に置けてしまった。
猛暑日でも持ち帰りに萎えないコンパクトさ
コンパクトだった。「気持ち良いのは分かってるけれどやはりコンパクトなのがいい」そう再認識させてくれた瞬間であった。猛暑日でも疲れない大きさと重さ、梱包のレベル、ダンボール選びの段階、本体の重さの設計、その段階から洗練されていた。
「商品は細いのにダンボールがやけに大きい」といったことが無かった。「届きゃいいんだよ届きゃ(ミスターサタン)」と言わんばかりに適当に選んだような大きさと重さではなかった。とにかくコンパクトだった。持ち帰るときの気持ち良さも考えられていた。
ジロジロ見られなかった
すれ違うときなども見られない。何を買ったんだ?と言わんばかりに持っている物に視線を感じることも無かった。身体の一部かのような大きさで持ち帰れる。
すれ違う人に見られずに持ち帰れる
ジロジロ見られることもなかった。歩道ですれ違う人、反対側の歩道を歩く人、車に乗っている人にその片腕で抱えて持ち帰っている様子をジロジロ見られることがなかった。「腕に抱えていかにもダンボール持ってます!」といった見た目だったのに見られなかった。公共のTPOで逸脱を感じさせるような大きさではない大きさだった。
「何を買ったんだ?」といった視線無く持ち帰れる
「無地ダンボールだから」というのもあるのだろうか、いや、無地でも大きかったときはジロジロ見られたためあまり関係はない。しかし、無地ダンボールであることは必要最低限の要素。NLSの梱包箱はこれを満たしていた。
電気屋で電気屋のロゴがガツガツと入った紙袋を持って歩いていると、また中身の見えるスーパーの袋で歩いていると「何を買ったんだ?」と言わんばかりに見てくる人がいる。視線をたどるとその持っている手提げの中に入っているものに行っているといったことがしばしば。しかし、NLSの梱包箱はそれが起きなかった。
身体の一部かのようになる大きさなのでジロジロ見られない
ダンボールの大きさが大きいと通りすがりによくジロジロに見られていた。特に両手で持つ大きさはそれがよく起こった。そして「片腕に持つにはちょっと大きいができなくもない」といった大きさのときもそれが時々起こった。しかし、今回はそれが無かったサイズだった。
あたかも「身体の一部かのような抱え感」になる大きさだった。見ればダンボールを抱えていると分かる。しかし、視界では何か出っ張っているものが無いといった視界感覚で身体の一部のようになる。
カバンに入る大きさ
カバンに入れて持ち帰れる。さらにカバンに入れたまま他に寄れる余裕も大きさと重さだった。
カバンに入れて他に寄ってでも気楽に持ち帰れる
カバンに入れられる大きさだった。腕に抱えて持ち帰らなくてもバッグに入れて持ち帰れる大きさだった。そしてカバンに入れているときも重すぎないので疲れない。入るバッグは背負うバッグであるリュックタイプやトートバッグなどとなる。
「帰りにどこかに寄る予定がある」時も気楽に持ち帰れる
郵便局で局留めして持ち帰る際に腕で抱えて気楽に持ち帰れるだけでなく、「帰りにどこかに寄る予定がある」といった際にも気楽に持ち帰れる。局留めでも再配達で近くの郵便局に指定しても気軽に持ち帰ることができる。カバンに入れて他に寄るのがより楽ではあるものの、腕で抱え他に寄れる大きさと重さでもあった。
NLSは気持ち良く「持ち帰れる」
NLSで買うものは気持ち良いものばかりだ。注文するときもサクサクっと買い物が終わって気持ち良い。ストレスがない。そして届くものも気持ち良い。開封するときも余分な緩衝材が無くて気持ち良い。
持ち帰る時も気持ち良かった。「なぜNLSは中身の大きさに合わせて梱包箱の大きさを変えてくれるのか」その理由の答えを体験した。中身の割に巨大すぎて困るといったことがなかった。
「別にジロジロ見られたって変わりはしない」とは分かってる。分かってる。しかし、やはりジロジロ見られずに持ち帰れたときは繊細なレベルで色々な視点で気持ち良かった。それに「注文したはいいが持ち帰るのが疲れるから億劫」といったことが起きなかった。